映画『366日』ネタバレ感想:不治の病に頼りすぎた恋愛ドラマの末路
映画「366日」を公開二日目に鑑賞。
監督はラブストーリーの名手として名高い新城毅彦。(公式HPより)
wikiで調べると新城監督は「胸キュン映画三巨匠」なんだそう。
主演は赤楚衛二と上白石萌歌。
HYの同名楽曲をモチーフに、高校生から始まった恋が、すれ違っていくという物語。
個人的な評価としてはCー。
正月から、こんなしょうもない映画を上映するな。
ムカついたので、適当にネタバレ。
舞台は沖縄と東京。
ある日、女子高生の美海(上白石萌歌)は、幼なじみの琉晴とともに病院で一学年上の先輩である湊(赤楚衛二)と出会う。
その際にお互いのMDを間違えて持っていってしまう。
学校で美海は湊の教室に行くと不在で、そこにいた学生に理由を尋ねると湊の母は病気で死んだという。
落ち込んでいた湊のところに美海は行き、MDを返すことを契機に二人は恋に落ちる。
その後、東京の大学に進学した湊を追いかけるように美海も同じ大学に進学。
そして二人は同棲を始め、湊は音楽関係の職場に就職。
美海は湊と一生を過ごしたい思いであったが、突然、湊は美海に別れを告げる。
実は湊は白血病にかかり、通訳を目指す美海に迷惑をかけないために別れたのだった。
別れた直後に美海は妊娠していることが判明。
美海は妊娠したことを湊に告げずに沖縄に戻り、幼なじみの琉晴とともに一人で娘の陽葵(ひまり)を育てていく。
陽葵(ひまり)が3歳になったころ、美海と琉晴は結婚。
陽葵が高校生になるころ、美海は不治の病にかかり、余命いくばくもない状況となる。
琉晴は美海の声が吹き込まれたMDを美海に持たせて、それを湊に届けるように依頼するのだった…。
<ネタバレここまで>
面白いとか面白くないとかではなく、呆れ返ってしまった。
湊の母は病死。
その後、湊は白血病。
そして美海は不治の病。
誰が企画したのか、どうやってプロットが決まっていったかは分からないが、物を作るプロ集団として恥を知れと言いたい。
難病を安易に使うことに関して、やましさ、恥ずかしさ、良心の呵責を覚えないんですか?と強く問いただしたい。
これが事実に基づいた物語ならば、まだ許せる。
しかし、本作はHYというバンドの失恋ソングの歌詞からインスパイアされただけ。
歌詞を読むと「別れても好きな人」的な内容。
ここからなんで不治の病が出てくるの。
発想が貧祖だし、観客をバカにしている。
「不治の病を入れれば、感動作になるよ。」的な安易なノリ。
その割には湊の白血病という苦しい治療が何か月も続く病気の描写がメチャクチャ薄い。
そもそも湊が美海に白血病になったことを言わなかったのか意味不明。
映画では「美海の長年の夢であった通訳者になることを妨げるから」ということになっているが、そんなことないでしょ。
例えば美海が金メダルを目指すアスリートで、オリンピックが控えているというシチュエーションならば、ギリギリ納得いくかもしれない。
ところが、本作の美海の夢は通訳者である。
付き合っている異性が白血病になると、どうして通訳者という夢が断たれるのか理解できない。
美海も美海で、妊娠したなどという大事なことを黙っているのも不自然極まりない。
どうして、こんな不自然なことになっているかというと、製作者側がドラマを盛り上げるために、そして悲劇的にするためにやっているわけだが、この点も「恥ずかしくないですか?」冷静というか、冷徹にきいてみたい。
撮り方も、劇伴も、各芝居の演出も全く体質に合わなかった。
特に湊が白血病が治り、病室から出ていくときに、扉が開いた瞬間に知り合いの二人が「退院おめでとー!」出てくるシーンは、あまりの気持ち悪さに、顔面がピクピクひきつってしまった。
まぁ、もしかしたら女性が観たら面白いのかもしれない。
ただし、私は二度と新城毅彦監督の作品を二度と観ないことをここに誓います。