映画『六人の嘘つきな大学生』感想とネタバレ解説:不自然な設定5選と原作との違い
映画「六人の嘘つきな大学生」を公開初日に鑑賞。
主演は浜辺美波。
2021年にベストセラーになった浅倉秋成の同名小説が原作。
配給は東宝。
ジャンルとしてはミステリー。
大手IT企業「スピラリンクス」の入社試験に挑む6人の大学生の物語。
莫大な応募者の中から最終選考まで残った6人。
最後の試験はグループディスカッション。
会社側の説明によるとディスカッションの内容によっては6人全員の合格もありえるという。
どのような課題が提示されても対応できるよう6人の学生は連日打ち合わせを重ね、絆は深まっていく。
しかし、試験直前、会社側から6人で議論を重ねて、推薦者を一人出して、その者を入社させる形に変更するという知らせが届く。
友となった6人が敵となる状況でグループディスカッションは開始。
15分ごとに自分以外の誰かに投票し、累積得票数が最も多かった者を推薦することに6人は決める。
開始直後、会議室の隅に封筒が置いてあることに気づく。
封筒を開けると、6人の名前が書かれた更に小さい6つ封筒が入っていた。
その封筒を開けると、学生各人の過去の悪事が書かれた一枚の紙が入っていた。
疑心暗鬼の中で投票は続き、6人の友情は崩れていき、最終的には悪事を調べた犯人も判明。
波乱の中で推薦者が決まっていく。
入社試験から8年後、真実が明かされていく・・・。
大枠の物語は面白いが、細部が不自然だし、芝居が舞台劇っぽい。
何より、つっこみどころが満載。
個人的な評価としては「B+」。
それでも東宝作品なので、ある程度のクオリティには達しているが、ストーリーにリアリティがなさすぎる。
以降、ネタバレで5つほど不自然な点を指摘しておきたい。
① こんな最終選考方法を大手企業は選択しない
本作にあったような受験者同士を敵対関係にするような選考方法を取れば、世間から叩かれる可能性は大で、大企業としてリスクが高すぎる。
また、企業としての見識を疑われ、有能な学生が入社を希望しなくなる。
不自然すぎる。
② ディスカッションが中断されない
映画の途中で会議室にあった封筒は会社側ではなく九賀が用意していたことが分かる。
そうであれば、別室のモニターで見ていた人事担当者は何やら学生が封筒の中身で大騒ぎし始めたのだから、ディスカッションを中断させ、封筒の中身を確認するはず。
しかし、ディスカッション中、一切、会社側の人間が入ってこないのは不自然すぎる。
③ 疑惑の情報を訂正しない
最初の一枚目の封筒の中身は袴田という学生が野球部時代に部員をいじめて自殺に追い込んだという内容だった。
しかし、実際は袴田はいじめを無くすためにいじめの存在を学校側に告発し、その結果いじめの加害者側が自殺したものだった。
そのことをディスカッションの場で言わない理由が不明。
これは森久保の告発(詐欺)も同様で、さっさと真相を言えばいいのに、何故か言わない。
何より、周囲の学生が信じすぎ。
特に袴田のいじめの告発に関しては、矢代が過去にいじめにあったという理由で、袴田を問い詰めるが、いじめを嫌悪することと情報の真偽は別の話である。
とにかく疑惑をかけられた学生は訂正もせず、しかも周囲はすぐに信じ込む。
不自然過ぎる。
④ 九賀の犯行動機とフェア精神
自分も含め学生たちの悪事を調べて封筒を用意したのは九賀であった。
「優秀な先輩を入社試験に落とし、クズな学生を採用するスピラリンクスの人事に無能さを思い知らせたかった。」というのが九賀の動機であると説明されるが、それだったら、封筒をディスカッションに持ち込まず、直接会社に郵送すればいいだけ。
しかも、波多野が九賀の身代わりになって犯人のフリをするが、九賀は自分が本当の犯人であるという真相を言わない。
九賀の口癖である「フェア」はどこいったの?
九賀のキャラクターと、行動がチグハグ。
不自然過ぎる。
⑤ 音声データにパスワードをかける必要はない
不治の病にかかった波多野は、死ぬ間際に真相を録音し、その音声データにパスワードをかけるが、パスワードをかける理由が意味不明。
真相を皆に知って欲しくて録音したんじゃないの?
不自然過ぎる。
映画なんだから、一つくらい不自然なところがあってもいいのだが、これだけあると全く映画の中に入れず、外から映画を眺める形になり、更に粗が見えてくる。
なんでこんな雑な物語を映画化したのかと不思議に思い、鑑賞後に原作小説も読んでみた。
大枠のストーリーは同じ。
当たり前ではあるが、細かい点は多数の違いがある。
例を挙げると、次のとおり。(原作ネタバレ注意)
- 最終試験後の悪事の調査は波多野だけでなく、嶌衣織も行っていた。
- 嶌は九賀と二人で会い、九賀に犯人であることを白状させる。
- ディスカッション時に悪事(未成年飲酒)の写真を見た瞬間に波多野は九賀が犯人と分かる。
- 九賀が嫌悪した最終試験直前で行われた飲み会での大騒ぎは、実は森久保が間違えて高額なアルコール飲み放題を予約してしまい、落ち込んでしまった森久保を助けるために、あえてバカ騒ぎしていた。
しかし、なんといっても映画と原作の最大の違いは、嶌衣織の悪事の暴露。
映画では嶌の悪事が書かれた封筒は波多野が中身を見ずに焼いてしまうが、原作では嶌が開封されていない封筒を波多野の遺品から入手する。
封筒の中身は次のとおり。
「嶌衣織の兄は薬物依存症。嶌衣織の兄は歌手の『相楽ハルキ』。二人は現在同居している。」
映画版の後半、8年後のシーンが始まった直後、嶌が部下と思われる若い女性に仕事が遅いことを叱る場面がある。
この若い女性は原作では鈴江真希という名で、何度か登場する。
この鈴江が相楽ハルキのファンであることを語るシーンが2回ほどあり、その度に嶌は「相楽ハルキは過去に薬物に手を出しており、いい人か分からないのでは?」と絡む。
相楽ハルキは海外で音楽活動をしている際に、無理やり薬物依存にさせられ、今は依存から脱しているという設定になっている。
しかし、最終試験が行われた当時の相楽ハルキは薬物の件で叩かれていた。
もちろん、兄と同棲していたとはいえ、嶌衣織は薬物とは関係なかった。
本作は就職活動をモチーフにして、「人間は多面性を持ち、それを一瞬で見抜く方法などない。人は完全ないい人にも悪い人にもなれない。」ことをメッセージにしているわけだが、原作は「相楽ハルキ」の件を使って更にメッセージ性を強化している。
そのせいか、ほぼ同じストーリーにも関わらず、原作小説の方が引き込まれ、ラストが感動的になっている。
なお、原作小説は角川文庫であるが、かつての角川映画が使っていたフレーズ「読んでから観るか、観てから読むか」のとおり、原作も合わせて読んで欲しい。