「九十歳。何がめでたい」映画レビュー:ネタバレ注意!佐藤愛子さんのエッセイが映画に

今日から公開の映画「九十歳。何がめでたい」を鑑賞。
監督は前田哲。

本作は2023年に100歳になった作家の佐藤愛子さんをモデルに、佐藤さんが九十歳になってからエッセイを書き始め、その本が大ヒットするまでが描かれる。

映画は映画のタイトルと同じ名前の佐藤さんのエッセイと、その後に発刊されたエッセイ「戦いやまず日は暮れず」が原作となっている。

なお、「戦いやまず日は暮れず」は、1969年に佐藤さんが直木賞を受賞した「戦いやんで日が暮れて」をもじったもの。

私はこの二つのエッセイを読んでから映画を鑑賞した。
2冊とも歯に衣着せず時代を切っていく痛快エッセイ。

とても九十代の婆さんが書いたとは思えぬ力強さと切れ味。
しかも読みやすい。
そりゃぁ売れるわけだ。

エッセイを読んで私は佐藤愛子さんは「嫌われる勇気」を持った勇者だと感じた。
「嫌われる勇気」とは、心理学者のアドラーが提唱した考え方。

アドラーは他人からの評価を気にすることは他人の人生を生きることであると承認欲求を否定する。

他人からの自分の評価は「他者の課題」として切り離し、「嫌われる勇気」をもって初めて自分の人生を生きることになるとアドラーは説く。

他人どころか、時代の流れも一切気にすることなく自由奔放な佐藤さんの生き方がエッセイににじみ出ており、読んでいて気持ちがいい。

とにかくエッセイが原作の映画とは珍しい。
そして九十歳の佐藤さんを九十歳の草笛光子さんが演じる。
草笛光子さんの九十歳とは思えぬ美しさも本作の見どころの一つとなっている。

映画の方は小説を書き終えて、自宅で鬱々と暮らす佐藤さんのところに時代遅れの編集者である吉川(唐沢寿明)が現れるところから始まる。

吉川はエッセイの連載を依頼するが、何度訪ねても断られてしまう。
断るにも関わらず、佐藤さんは吉川の土産の菓子折りだけはきっちりもらっていく。

これで最後と告げて依頼するも佐藤さんは断り、玄関先で泣き崩れる吉川。
それを見た佐藤さんは渋々連載を引き受ける。

大喜びの吉川だったが、自宅に帰ると妻と娘は吉川に愛想をつかして出て行ってしまっていた。

一方、仕方なく連載を引き受けた佐藤さんは徐々に元気を取り戻していき、ついには書いたエッセイがベストセラーになっていくのだった・・・。

映画内にでてくる佐藤さんの担当編集者である吉川はエッセイの中でも少しだけ登場し、「戦いやまず日は暮れず」では、佐藤さんとの対談も収録されている。

ちなみに現実の担当は吉川さんではなく橘髙(きったか)さんのようである。

ただし、エッセイでは橘高さんの日常が描かれているわけではないので、橘高さんが映画内の吉川のように奥さんに捨てられたのかは不明。

吉川の物語はエッセイでは出てこないが、映画内で描かれていた複数のシーンはエッセイに基づいて作られていたので、その中から4つほどご紹介。

①新聞の人生相談欄
映画の冒頭で佐藤さんが新聞の人生相談を読むシーンがある。

佐藤さんは新聞の「人生相談」の愛読者でエッセイでは度々「人生相談」の話が出てくる。

佐藤さんとしては人生相談の「相談内容」を面白がっているようで、その回答にはご不満な様子。

例えば二十歳も離れた年上の男性との結婚の相談。
細かい状況が分からないので的確なアドバイスはできないというのが佐藤さんの答えであるが、それでも結婚したいなら「覚悟」をもって結婚しろという。

佐藤さんがいう「覚悟」とは、家族の反対への覚悟ではなく、恋という熱病が冷めたときの失意の事態に対する覚悟だという。

恋の寿命は短い。
恋を愛に昇華させていくのが佐藤さんの恋愛観らしい。

②タクシー運転手
映画内で佐藤さんがタクシーに乗り、三谷幸喜さんが演じる運転手とスマホの話になるシーンがある。

このエピソードはエッセイのとおりに描かれている。

映画内でもエッセイでも、スマホなどという便利なものが行きわたれば、自分で調べたり考えたり記憶したり、努力をしなくなり人間はみなバカになると佐藤さんはいう。

映画内のセリフではなかったが、佐藤さんはエッセイの中で「進歩」について、次のように語っている。

「文明の進歩は我々の暮らしを豊かにしたかもしれないが、それと引き替えにかつて我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を摩滅させて行く。

もっと便利に、もっと早く、もっと長く、もっときれいに、もっとおいしいものを、もっともっともっと・・・。

もう進歩はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。」

そのとおりですね。

なお、三谷幸喜といえば脚本家のイメージが強いが、本作の演技はなかなかの存在感。
今後は役者「三谷幸喜」も観てみたくなった。

③グチャグチャ飯
エッセイ内で唯一の泣ける話。
佐藤さんが北海道の別荘で仕方なく拾ってきた犬のハナ。

ハナを拾った当時、佐藤さんはメチャクチャ忙しかったらしく、ハナが死ぬまで、ほとんどかまってやれなかったという。

しかし、ハナの方は佐藤さんを命の恩人と思っていたのか、常に佐藤さんに寄り添っていた。

ハナの食事はいつも残飯に煮汁か味噌汁の残りをかけたグチャグチャ飯。
しかし、15年目にハナは腎不全で死んでしまう。

もしかしたらグチャグチャ飯が原因だったのかもしれないと佐藤さんの胸は「呵責と後悔の暗い穴」が開いたままだとエッセイでは綴っていた。

佐藤さんの人柄が分かるエピソードだ。

④テレビの修理
映画内で佐藤家のテレビが壊れ、オダギリジョーが演じる修理業者を呼ぶ。
するとリモコンのボタンが押されたままであっただけにも関わらず、四千五百円も取られてしまう。

その他、ファクシミリも壊れ、修理業者を呼ぶと用紙の入れ方が間違っていただけなのに8千円。

人は今は合理主義だから仕方がないという。
しかし、佐藤さん側からすると非合理。

「進歩に追いつく力を失った老いぼれ」(エッセイから抜粋)の可笑しくも悲しい話。。。

この他にもエッセイに書かれていたエピソードが映像化されているので、まだエッセイを読んでいない方は読むと映画が一層面白くなるので、ご購入をおすすめする。

映画が公開中ということもあり、大きな書店であれば必ず置いてある。
エッセイ内の世界観が上手く映像化できているので、私のようにエッセイを読んでから映画を観ても、がっかりするようなことはなく、各エピソードを知っていても笑ってしまう。

皆さんもエッセイを読んで、映画を観て、御年100歳の佐藤愛子さんから笑いと勇気と希望をもらって欲しい。

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