TVアニメ「あしたのジョー2」あらすじ ちばてつやと梶原一騎の傑作漫画を振り返る
プラモデルを作りながら、ラジオ代わりにTVアニメ「あしたのジョー2」を視聴。
調べてみると、「あしたのジョー2」は1980年から1981年にかけて日本テレビ系で放映されている。
40年前に放映されたTVアニメにも関わらずクオリティが高い。
ちなみに「あしたのジョー1」は1970年から約1年間、フジテレビ系列で放映。
つまり1から10年経過して2が作られた。
それだけ、原作の力が強いということだ。
ご案内のとおり「あしたのジョー」は、作画ちばてつや、原作は梶原一騎という当時の巨匠二人による傑作ボクシング漫画。
なお、誌面上の原作者名は「高森朝雄(梶原の本名の一字違い)」。
これは、「あしたのジョー」が、梶原の代表作の一つである「巨人の星」のようにスポ根ものと思われない工夫だったらしい。
二人のタッグを思いついたのは少年マガジンの編集者。
さわやかな作風のちばてつやと、ハードな物語を展開する梶原一騎。
この正反対ともいえる二人が交われば、新しい作品が出来上がるのではないかと編集者は考えた。
そして、このアイデアは大成功する。
編集者がちばに、梶原を原作とすることを提案したところ、初めは断られたという。
しかし、交渉を続け、原作を一部改変してもいいならと承諾を得る。
その頃、既に巨匠扱いされていた梶原は、原作の変更を承知しないだろうと思われたが「手塚治虫とちばてつやは別格だ」といって了承したという。
こうして歴史に残る傑作漫画の連載が開始していく。
今回観た「あしたのジョー2」は、ジョーのライバルである力石徹との試合後から始まる。
【あらすじ】
力石は過酷な減量でジョーとの試合に臨み、勝利するも試合直後に死んでしまう。
そのショックによりジョーは半年間ボクシングをやめ、放浪の旅に出る。
その後、ジョーはドヤ街に戻りボクシングを再開し、リングに立つも、力石を殺してしまった罪の意識により、相手の顔面を殴るとリング上で嘔吐してしまう。
そんな中、プロモーターである白木葉子は、南米ベネゼエラから無冠の天才ボクサーであるカーロス・リベラを日本に招く。
カーロスの試合を見たジョーは、ボクシングへの情熱を取り戻していき、力石のトラウマを克服してく。
遂にジョーとカーロスは戦う。
引き分けに終わるも、ジョーとカーロスは深い友情で結ばれる。
ジョーとの試合後、カーロスはアメリカでタイトルマッチを行う。
1ラウンドでカーロスはチャンピオンのホセ・メンドーサにKOされてしまう。
しかも、ホセのコークスクリューパンチにより脳をやられ、廃人になってしまう。
ジョーはホセのタイトルを標的にボクシングを続ける。
物語のラストでジョーとホセは戦う。
ホセを追い詰めるも判定負けするジョー。
試合後、ジョーはコーナーポストの椅子に座り、微笑を浮かべながら動けなくなるシーンで終わる。
あしたのジョーでは色々と名シーンがあるが、私が一番好きなのはジョーとジョーのガールフレンドであるノリちゃんとのデートシーン。
ノリちゃんは、ジョーに恋心を抱いていたが、ジョーにボクシングを止めて欲しかった。
同年代の若者は青春を謳歌しているのに、何故、過酷なボクシングを続けるのかノリちゃんはジョーに訊ねる。
ジョーは答える。
「義理でボクシングをやっているわけじゃない。
俺はボクシングが好きだからやってきた。これは本当なんだノリちゃん。本当なんだよ。
ノリちゃんが言う青春を謳歌するってのとは、ちょいと違うかもしれないが、俺は燃えるような充実感を何度も味わってきたよ。
ぶすぶすとそこいらにある見てくれだけの不完全燃焼とはわけが違う。
ほんの一瞬にせよ眩しいほどに真っ赤に燃え上がるんだ。
そして、後には真っ白な灰だけが残る・・・。」
このセリフに、ジョーのキャラクターの魅力が凝縮されている。
ジョーは試合に勝つためでも、チャンピオンになるためでもなく、ましてや富や名声を得たくてボクシングをしていたわけではない。
単に燃えたかったのだ。
この純粋さと、単純さと、破滅への魅力が「あしたのジョー」を傑作たらしめている。
燃えて、燃えて、燃え尽きたいという思いは、男なら誰でも心のどこかに持っているのではないだろうか。
特に、この平和で凡庸な現代では。
一瞬の燃焼に身をささげたい!と思わせる「あしたのジョー」は、もしかしたら危険な漫画なのかもしれない。