映画「爆弾」は“ご都合主義の極致”|リアリティを爆破した問題作
映画「爆弾」を公開二日目に鑑賞。
監督は永井聡(ながいあきら)。
主演は山田裕貴、伊藤沙莉、染谷将太。
ただし、これはビリング上の話で、実際は佐藤二朗が主演。
呉勝浩(ごかつひろ)の同名小説が原作。
本作はタイトルどおり爆弾にまつわる物語。
正体不明の中年男の「スズキタゴサク」が、ちょっとした暴行事件で捕まる。
取り調べの中で、スズキは霊感と称して、都内の爆弾事件の発生を言い当てる。
そこから、刑事とスズキの長い取り調べが始まるが、次々と爆発事件が発生していく。
爆弾を扱った刑事ドラマは多く見てきた。
私の記憶で一番印象に残っているのは、テレビドラマ「古畑任三郎」で、木村拓哉が犯人となった放送回。
1度は爆弾が爆発するも、古畑の推理により爆弾の起爆スイッチを解除する。
この流れが普通の爆弾を扱った刑事ドラマの定番。
今回鑑賞した「爆弾」は、セオリーを無視して爆発しまくる。
全て東京都内で爆発するのだが、この爆発シーンがリアルで、見応えあり。
ヒット間違いなし。
私は10スクリーンあるシネコンで鑑賞したが、一番大きなスクリーンで上映され、客も入っていた。
今週末の興行収入ランキングでは2位あたりに入ってきそう。
(さすがに「チェンソーマン」には勝てないだろう。)
ただし、個人的にはザ・ご都合主義映画。
タイトルは「爆弾」ではなく、「ザ・ご都合主義」にした方がいい。
キャッチコピーは「人はここまで都合のいい物語を作ることができる!」だな。
以下、ネタバレありで突っ込みを入れていきたい。
①刑事のオナニーなど社会問題にはならない
この物語は長谷部というベテラン刑事が事件現場でオナニーをしていたことがマスコミにバレたことから始まっている。
確かに記事にはなるだろう。
ただ、新聞に載るにしても小さい記事で扱われるはず。
週刊誌でもせいぜい1ページ程度。
映画では長谷部の奥さんや、同僚刑事にマスコミが押しかけていたが、あれは明らかに大げさ。
また、オナニーを見てしまった部下の等々力刑事が長谷部にカウンセリングを勧め、そのカウンセラーが小金欲しさにマスコミに情報を流したことになっているが、そんなことはあり得ない。
マスコミに情報を流すということは記事になるということであり、「秘密を漏らすカウンセラー」として、その後、カウンセリングなどできなくなってしまう。
更に長谷部の自宅に「死ね」などの大きな落書きがされるが、この程度の事件で日本人はあんなマネはしない。
②電車に飛び込み自殺しても破滅するほどの請求額にはならない
長谷部は自分の記事が公表された後、警察を辞め、電車に飛び込んで自殺。
長谷部家に鉄道会社から多額の請求があって、家族が破滅したということになっている。
しかし、現実では請求があっても数百万円程度。
電車が脱線して何日も運行ができなくなったり、電車の運転手や、乗客に死傷者が発生したならば、高額な請求もありえるだろうが、人が一人飛び込んだ程度で、そんなことはありえない。
③爆弾は簡単に作れない
映画内でも小説でも、誰でも大量の爆弾を簡単に作ることができるようなことを、もっともらしく説明するシーンがある。
それが本当であったら、現実の社会でも爆弾を使った事件が多くあるはずだが、時限爆弾を使った事件など、ほとんど聞いたことはない。
時限爆弾だったり、リモートで爆発できる爆弾が簡単に作れるのであれば、アリバイ作りとして、こんな都合のいい凶器はない。
そんな爆弾を使った事件がないというのは、爆弾を簡単に作れないという証左。
爆弾を一般市民が簡単に作れるという設定は嘘。
④自動販売機の中の爆弾
物語の途中で、爆弾をペットボトルの中に入れて、自動販売機に仕込んで爆発させるシーンがある。
これは犯人の一人が自動販売機に飲料を入れる仕事をしていたから可能になったわけだが、それをやった犯人は首謀者である長谷部の息子に殺されている。
死体をみるとウジが湧いていて、死後数日経過していることが分かる。
ということは自動販売機に爆弾をしかけたのは、かなり前であったことになる。
それまでに爆弾入りのペットボトルを誰かが買ってしまい、自動販売機から出てくる可能性がかなり高いはず。
また、爆発直前に等々力刑事がペットボトルの中に爆弾があることに気づくが、物語の設定上、類家刑事は高度に知能が高い設定なのに、ペットボトル爆弾に気づかないことに違和感が残る。
⑤スズキタゴサクのキャラクター設定
非常に反社会性や攻撃性があり頭脳明晰なスズキタゴサクが、事件を起こすまで前科や前歴のないホームレスとして過ごしてきた、という設定にキャラクターの整合性がつかない。
事件はスズキではなく長谷部の息子が計画したもので、後からスズキが計画を乗っ取ったもの。
そのスズキは、ホームレスになった長谷部の奥さんから頼まれたことが切っ掛けで事件に関係してきた偶然の人物なはず。
それにも関わらず、超がつく優秀な刑事と駆け引きをしながら、遂に全ての計画を実行してしまうというのは全く腑に落ちない。
しかも、映画の途中でスズキの顔写真はマスコミに公開されるにも関わらず、正体不明のまま映画が終わっていくのは理解し難い。受け入れがたいと言ってもいい。
以上が私が本作に抱く理不尽な点。
こうしてリアリティのなさを指摘すると、「これは現代を舞台にした寓話なんだ!」という人が現れる。
でたでた寓話。
それって言い訳じゃない。
確かにリアリティを無視した設定にしないとスケールの大きな物語は作れない。
私が指摘した点に整合性をとろうとすると小さな物語になってしまう。
つまり、大ヒットするようなエンタメ映画を作ろうとすると、図々しく常識外れを前提としたストーリーにした方がよい。(去年大ヒットした「ラストマイル」が好事例。)
実際にも一般の観客は私が指摘した点に違和感も覚えずに受け入れてくれる。
私は細かい矛盾や整合性が気になってしまう人間なので仕方がない。
映画鑑賞には向いていない性格なのかもしれない。
その他で気になったのは佐藤二朗の芝居。
現役の俳優で佐藤二朗ほど「個性派」という言葉が似合う役者もいないだろう。
私も個性派俳優は好きな方だが、佐藤二朗は何の役をやっても「過剰」を感じてしまう。
何をもってして芝居が上手いと言えるのかは大変難しい問題であるし、佐藤二朗の芝居が下手であるとは思わない。また、嫌いとは思えない。
ただ、好きにはなれない。
これは本作に出演していた渡部篤郎も同じ。
色々と文句ばかり書き連ねてしまったが、普段映画を観ない人には自信を持って勧められる作品。
「大」がつくかは分からないが、ヒットすることは間違いない。
これだけ爆弾が爆発する映画も恐らく史上初。
話題の作品を見逃したくないひとは是非映画館でご鑑賞あれ。