映画『教皇選挙』ネタバレ感想:衝撃のラストもご都合主義?期待外れのリベラル映画
今週から公開の映画「教皇選挙」を鑑賞。
主演はレイフ・ファインズ。
監督はエドワード・ベルガー。
本作はカトリック教会の最高指導者であるローマ教皇が亡くなり、教皇選挙(コンクラーベ)が行われるも、有力候補者の様々な悪事が暴かれていくというサスペンスタッチの物語。
教皇選挙とはイタリアのバチカンに世界中で活動している約100名いる枢機卿(すうききょう)を集め、次の教皇を決めるための選挙のこと。
なお、この選挙は投票総数の2/3以上を一人が獲得するまで延々と何日も続いていく。
本作は今年の米アカデミー賞作品賞の有力候補だった作品。
作品賞の獲得はならなかったが、脚色賞を受賞している。
映画評論家の町山智浩の事前のアカデミー賞予想では、本作「教皇選挙」が作品賞を獲ると予想されていた。
私の大変信頼してる町山氏が推していたので、期待して観に行ったのだが、個人的には残念映画。
私にとっては、ただの左翼・リベラル映画。
個人的な評価としては「B-」。
町山さんは素晴らしい映画評論家であるが、思想が左翼的なので、鑑賞後に町山さんが推薦された理由が良く分かった。
この映画がアカデミー賞作品賞だったら、私は納得できなかったと思う。
まぁ、「アノーラ」も納得できないけど。
本作は「最後に大どんでん返しがある」ということは聞いていたが、私にとっては全く驚きがない「小どんでん返し」だった。
ネタバレになるが、最後に選ばれた教皇「ベニテス」は女性であったというのが本作のオチ。
ベニテスはLGBTのうちのTの「トランスジェンダー」。
つまり生まれた時の性別は女性であるが、性自認は男性であるという性的マイノリティ。
ご存じのとおりカトリック教会においては、聖職者と呼ばれる神父・司教・大司教・枢機卿・教皇は全て男性に限られる。
そのような状況の中、亡くなった前教皇は密かにベニテスを枢機卿に任命していた。
選挙が混乱していく中で、保守派の枢機卿により「カトリック教会の力を取り戻し、戦うときがきたのだ!」との強い呼びかけを行う。
これに対し、ベニテスは「戦いは何も生まず、カトリック教会は前に進むことが大切だ。」と静かに返す。
この言葉により、ベニテスが教皇に選ばれるのだが、あまりにもご都合主義な展開。
産経新聞の映画紹介欄でも、「終盤、突然『感動的な演説による一挙解決』という展開となり失速するのが残念」と皮肉られていた。
この急な展開だけでなく、女性を教皇にするというリベラルな考えも、実は時代に合っていない気がする。
トランプが「性別は男と女だけ」と言って大統領に再選されたことに象徴されるように、今は左翼・リベラリズムというものが疑われつつある時代に入っているのではないか。
そんな中、「伝統・習慣を破壊しよう!」的なメッセージって、全然新鮮味もない。
「多様性」という言葉の下に価値の相対化が進み、「男は男らしくあるべきだ!」という単純な言葉すら言えなくなってしまった。
つりま現代に求められている作品は「男が男らしく、女が女らしくあって何が悪い!」という映画なのではないだろうか。
「男らしさ・女らしさ」と言った途端に血祭りにあげられてしまう今の世界に風穴を開けるような映画を是非観たい。
逆に言えば、本作「教皇選挙」は個人的には勧められない。
ただ、日本人には縁遠い教皇選挙というものを知るには素晴らしいお勉強映画になっているとは思う。
コンクラーベに興味のある方は是非ご鑑賞あれ。
盲腸の手術をして、臓器があるのが分かったって言ってるので、トランスジェンダーではなく両性具有だとおもいました