映画「ドント・ブリーズ」1・2 あらすじ(ネタバレ)&感想 主役が分からない傑作映画!

ドントブリーズ

映画「ドント・ブリーズ」は2016年に公開されたホラー・スリラー映画。
3人組の強盗と盲目の老人との戦いの物語。

監督はウルグアイ出身のフェデ・アルバレス。
フェデ監督は2013年に「死霊のはらわた」のリメイクで長編映画監督デビュー。
その関係か「死霊のはらわた」の監督であるサム・ライミが「ドント・ブリーズ」のプロデューサーとして参加している。

ちなみにドント・ブリーズ(Don’t breathe)とは、「息をするな」とう意味。

あらすじ(ネタバレ)

働きもせず娘に金をせびる両親を持つ不良少女ロッキー。
両親に愛想をつかしていたロッキーは妹ともに街を出たかった。

ロッキー

ロッキーはマネーというチンピラの恋人がいた。

また、ロッキーの友人アレックスはロッキーに好意を寄せている。

アレックスは父が警備会社に勤めていたことから、防犯システムに詳しかった。
そのアレックスの知識を利用し、ロッキー・マネー・アレックスは強盗を繰り返していた。

ある日、盲目の老人が住む家に侵入する三人。
ところが、その老人は元軍人。
老人の驚異的な身体能力と聴覚により、逆に追い詰められていく三人。

盲目の老人

ロッキーが地下に逃げ込むと、一人の女性が拘束されたいた。
その女性は老人の娘を車ではね殺した犯人であった。

この女性は裕福な家庭であったため、老人に大金を払い、刑務所には送られていなかった。
このことが老人には許せず、密かに拘束していたのだった。

拘束された女性は妊娠していた。
死んだ娘の代わりとして、自分の精子をスポイトで女性の子宮に流し込んでいた。

しかし、老人とロッキーたちとの死闘の中で、その女性は死んでしまう。
泣き叫ぶ老人。

戦いの中で、マネーは殺され、ロッキーは生きて拘束される。
ロッキーは死んだ女性と同じく、精子を流し込まれるも、アレックスにより助け出される。
しかし、老人の家から脱出する直前、アレックスは銃で撃たれて死亡。

一人で逃げるロッキーを老人は自身と飼い犬で追い詰めていく。
それでも、何とか老人を撃退し、大金を持って逃げ切るロッキー。

後日、ロッキーとロッキーの妹が街を出る途中、店で食事をしていると、店のテレビから流れていたニュースで老人が死んでいないことを知るところで終わる。

どちらが主役!?

観ていてロッキーと老人と、どちらが正義なのか、どちらが主役なのか分からなくなる不思議な映画。

そしてほぼ全編、狭くて暗い家の中での戦いが繰り広げられ、冒頭から最後まで緊張感が継続する。
正にホラー・スリラー映画。

戦う盲目の人といえば、勝新太郎が演じた「座頭市」を思い出すが、今回の老人は座頭市ほどの超人ではない。
かなり強盗に対して苦戦する。

つまり、少し人間味があり、あえて完全なサイコモンスターとして描いていないところが面白い。
ロッキーと老人と、どちらに肩入れするかは観る人の考え方次第。
どちらを主役と思うか、是非、一度観て欲しい。

ドット・ブリーズ2 あらすじ(ネタバレ)

ドントブリーズ

パート2は前回からの続編。
盲目の老人は少女(小学生くらい)フェニックスと生活していた。
何故かフェニックスは、学校に行くことも、街に遊びに行くことも禁じられていた。

ドントブリーズ

ある日、謎の武装集団が老人宅に侵入。
武装集団の狙いはフェニックスであった。

元軍人である老人は、武装集団に対抗。
その戦闘の中で、武装集団のリーダーが、フェニックスの本当の父親であることが分かっていく。

フェニックスが幼少の頃、自宅が火事になり、生き残ったフェニックスを老人が誘拐していたのだった。

しかし、フェニックスの両親は麻薬の密売をしており、自宅で覚せい剤を作っていた。
そのため、火事の後、父親は逮捕され刑務所に入っていたのだった。

老人の自宅での激闘の末、父親は老人から少女を取り戻す。
父親の自宅で少女は車椅子に乗った母親にも再開する。
喜んで抱き合う親子3人。

母親は麻薬を製造する担当をしていたが、火事の際に化学薬品が混じった煙を吸ってしまし、心臓に深刻なダメージを負い、余命幾ばくも無い状態であった。

実は少女を取り戻したのは、少女の心臓を母親に移植するためであった。

移植手術のため眠らされるフェニックス。
手術が始まる直前、老人が助けに入る。

またもや大激闘なり、老人も瀕死(本当に死んだかは不明)となるも、何とかフェニックスの救助に成功。

フェニックスが街の養護施設に入るところで物語は終わる。

血のつながらない親子の絆

パート1の老人は、正義か悪か分からない形で描かれていた。
一方、本作は少女を命がけで守る素晴らしい父親であった。

一度は老人の下を去ったフェニックスであったが、最後には自分を守ってくれた本当の父親が老人であったことに気づく。

物語のラストに、瀕死となった老人に対し、フェニックスが「大丈夫!私が救ってあげる!」と言うと、老人は「もう既に救っている…」と返し、事切れる。
このシーンには思わず涙。
子供とは親に救われて生きている存在ではなく、親を救っている存在なのだと改めて思わされた。

私自身、子供を持って思うのだが、子が親に感謝するのではなく、親こそが子に感謝すべきだ。
生きていてくれてありがとう。

この当たり前の事実を確認するためにも、是非ご鑑賞あれ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です