ネタバレ注意!映画『ぼくが生きている、ふたつの世界』CODAの物語が心に沁みる
鹿児島では昨日から公開された「ぼくが生きている、ふたつの世界」を鑑賞。
CODAの物語。
CODAとは「Children of Deaf Adults」の略で、耳の聞こえない親の下で育つ子供のことをいう。
CODAといえば、2021年に公開され、その年の米アカデミー賞の作品賞に輝いた映画「コーダ あいのうた」がある。
「コーダ あいのうた」は傑作だったが、「ぼくが生きている、ふたつの世界」も素晴らしい映画だった。
主演は吉沢亮。
監督は呉美穂(お みぽ)さんという日本で活動する韓国国籍の映画監督。(三重県伊賀市出身)
実際にCODAとして育ったライターの五十嵐大(いがらし だい)さんのエッセイが原作。
映画では吉沢亮が演じる大が、生まれてから大人になるまでが描かれる。
赤ん坊のときは両親ともに耳が聞こえないので、大が夜泣きしても気づきにくいなど、育児の困難さが描かれる。
それでも幼少の頃の大は両親が大好き。
しかし、小学生になると両親が障害者であることを理解し始め、授業参観の通知を渡さなかったりする。
更に大が中学生になり、反抗期に入ると、志望高校に入れなかったことを親のせいにしたり、「こんな家に生まれてこなければよかった!」などと暴言を言うようになる。
また、聾唖の親と一般社会との架け橋になっている自分に徐々に嫌気が差してくる。
そして大人になった大は逃げるように東京を目指す。
苦労しながらも東京で暮らし始める大。
その中で聾唖の人々と出会い、大は自分のCODAとしての人生を客観的に見つめなおしていく。
ある日、実家の宮城から東京に向かう直前に母親と買い物にでかけたことを大は思い出す。
まるで恋人同士のように大と母親は街を歩き、電車の中でも声をだして笑いあう二人。
電車を降りて、何気に大の母は「たくさんの人が乗っているのに、恥ずかしがらずに手話で話してくれてうれしかった。」と大に告げる。
そのことを思い出して泣き出す大の顔のアップで映画は終わる。
特にショッキングな出来事も起こることなく、淡々と物語は進んでいくが、全てが丁寧に描かれているため、大と大の両親の気持ちが痛いほど伝わってくる。
お涙頂戴のストーリーではないのに、最後はまんまと泣かされてしまった。
派手さはないが、「いい映画を観た。」と心底思わせてくれた。
公開館数も少ないし、映画ファン以外の方に勧められる作品ではないが、是非、ネット配信でもいいのでご覧いただきたい。