「インサイドヘッド2」ネタバレなしレビュー!「真の自己肯定」とは?ナルシズムと自己愛の違いを解説

公開中の映画「インサイドヘッド2」を鑑賞。

パート2を鑑賞する前日、ネット配信で前作を視聴。
私の中ではイマイチだった。
なぜ大ヒットしたのか理解できない。

「インサイドヘッド」は前作、本作ともにライリーという少女の物語。

ライリーの頭の中には「ヨロコビ」、「カナシミ」、「イカリ」、「ムカムカ」、「ビビリ」という擬人化された感情のキャラクターがいるという設定。

「ヨロコビ」がリーダー的存在なのだが、人間が生きていくには喜び以外の感情も重要であるということが本作のメッセージ。

伝えたいことは分かるけど、設定が容認できない。

感情が擬人化されるということは、各人の頭の中に別の意志が存在し、それが人を動かしていることになる。

人が生きていく上での様々な選択は、理性と感性がまじりあった状況の中で「自分」が選択していく。

ところが映画の中では自分の意志以外の意志で人生が決められていく。
少なくとも、そういう風に見える。
そこがどうしても容認できない。

もちろん、擬人化された各感情のキャラクターはライリーの分身だと思い込めばいいのだが、その境地に達せなかった。

擬人化された各キャラクターが全てライリーそっくりであったら、面白く感じるかもしれない。

なんだか前作の鑑賞後はパート2を観るモチベーションが低くなってしまった。

ただ、公開中のパート2は日本より早く公開されているアメリカにおいて記録的なほどに大ヒット中。

ヒットの理由を知りたくて本日鑑賞。

前作は11歳のライリーが描かれたが、今回は高校進学前の13歳。
(映画の舞台であるサンフランシスコでは、小学校が5年制、中学校が3年制、高校が4年制なので、ライリーは14歳から高校に進学。)

ライリーは思春期を迎え、ライリーの頭の中のヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリという感情のキャラクターにシンパイ、イイナー、ハズカシ、ダリィという4人の感情が加わる。

これまでの感情たちは新しいメンバーに追いやられ、シンパイを中心にライリーは高校生活を上手くやっていくための行動にでるが、徐々に自分を失い、親友たちを失っていく。

ヨロコビたちは本来のライリーを取り戻すべく奮闘するが、実はヨロコビたちがこれまで行ってきた負の思い出を消し去っていた行為もライリーに悪い影響を与えていたことに気づいていく・・・。

映画のラストで嫌な自分、バカな自分、ズルい自分を受け止め、それを素直にさらけ出すシーンは誰もが号泣。

自分のポジティブな部分だけに目を向けるのはナルシズム。
ネガティブ部分も直視し、その上で自分を受け入れるのが本来の自己愛であり、真の自己肯定。

日本ではナルシズムを自己愛と訳しているが、これは完全な間違い。

本作を監督したケルシー・マンは次のように語っている。

「この映画は、自分自身を受け入れることをテーマにしています。
ダメなところも含めて、自分を愛すること。
誰しも愛されるために、完璧である必要はないのです。」

負の自分を愛するということは勇気がいる。
アドラー心理学でいう「嫌われる勇気」と通じるところがあるかもしれない。

感動の度合いは明らかに前作を上回っていて、自信を持ってお勧めできる作品だと思う。

ただし、日本で「大」ヒットするかは怪しい。
前作の日本での興行収入は40億円を超えた大ヒットであったが、前作が公開されたのは9年前の2015年。

当時よりも更に日本は自国のアニメが強くなっている印象。
しかも今回は「僕のヒーローアカデミア THE MOVIE」という大ヒット間違いない日本アニメがほぼ同日に公開開始。

更にいえば、前作の公開は9年前なので、当時観た子供たちは、すっかり大人になっている。

私の予想では興行収入20億円くらいだと予想。
20億円でもヒットなんだけどね。

「僕のヒーローアカデミア THE MOVIE」に興味のない家族は、是非、「インサイドヘッド2」をどうぞ。

レビューとは関係ないが、カナシミの声が大竹しのぶとは信じられない・・・。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です