【酷評】映画『恋に至る病』はストーリー崩壊|理解不能な恋と死の茶番劇

映画「恋に至る病」を公開から二日目に鑑賞。

監督は廣木隆一。
長尾謙杜と山田杏奈のW主演。

端的に言って理解不能な作品。

以下、粗々のネタバレあらすじ。

コミュ障の男子高校生「宮嶺望」(長尾謙杜)が転校するところから始まる。
何故かクラスで一番の人気者「寄河景(よすがけい)」(山田杏奈)が宮嶺に興味を持ち、仲良くなっていく。

二人の様子に嫉妬したクラスメイトの根津原は宮嶺を呼び出し、根津原の友人数人で宮嶺を袋叩きにする。

それを知った景は根津原に、いじめをやめるよう抗議するも、跳び箱の中に閉じ込められてしまう。

閉じ込められた景は宮嶺によって助けられるも、景の根津原への怒りは収まらない。

その後、根津原はマンションの屋上から飛び降りて死んでしまう。

自殺として処理されたものの、景は自分が殺したのだと宮嶺に告白する。

景を愛していた宮嶺は景に疑いがかかるようであれば、自分が殺したことにして景を必ず守ると宣言する。

一方、世間では「青い蝶(ブルーモルフォ)」というネットゲームが流行り、プレイした者は最終的に自殺してしまうものであった。

そして景が学校の生徒にブルーモルフォについて会話をしている様子を宮嶺は見かける。

ある日、宮嶺のクラスメイトの女子が自殺。
また、その自殺した女子の友達が不登校となる。

その不登校となった女子に宮嶺は友人が亡くなったことを伝えるために自宅を訪ねる。

そこで、根津原の死は景ではなく、この不登校となった女子と自殺した女子の二人で殺したことが分かっていく。

宮嶺の学校でも屋上から飛び降りようとした女子学生が現れるも、景の説得により救われる。

そんな中、警察はブルーモルフォを運営していた塾の男性講師を逮捕。

しかし、偽のブルーモルフォサイトが立ち上がり、先ほどの女子学生が再び飛び降り自殺を図る。

宮嶺は自殺を食い止めて欲しいと景に頼む。

自殺しようとしていた女子高生に景が近づくと、その女子高生は景をカッターナイフで刺し殺し、その後、屋上から飛び降りて死んでしまう。

果たして景は宮嶺を本当に好きだったのか、自分の殺しの罪を肩代わりさせるために洗脳していたのか分からないまま物語は終わっていく。

(ネタバレあらすじここまで)

物語全体として、理解不能な点が多くある。
また、ストーリーの前提となる設定にリアリティや説得力が皆無といっていい。

以下、疑問点等を列挙してみる。

① 景が宮嶺を好きになった理由

本作はコミュ障の宮嶺が転校し、たどたどしく自己紹介するところから始まるが、その時点から景は宮嶺に興味を持っている。

その理由が不明。
もちろん景が宮嶺を利用するために近づいたとも取れるが、そこは曖昧されており、景が宮嶺を好きだった可能性を十分に残したストーリーになっている。

つまり製作側は「景は宮嶺を好きだったかもよ」という形にしているのだが、それではやはり景が宮嶺を好きになったエピソードをもっと入れるべきだと思う。

一応、景が乗ったモノレールを自転車に乗った宮嶺を追いかけ、それをモノレールから微笑みながら景が見ているシーンはあるが、これで好きになったというには理由が弱すぎる。

原作は未読だが、どうやら原作小説での景と宮嶺は小学生からの付き合い。
その小学校生活中で、二人は仲良くなっていくらしいので、原作小説は二人が惹かれあうことが自然に描かれているらしい。

②ブルーモルフォと景との関係

映画ではプレイした人を自殺に追い込む「ブルーモルフォ」を運営していたのは、塾の講師であったことになっている。

この塾講師と景がつながっていて、二人でブルーモルフォを運営していたのであれば理解できるが、そのような設定にはなっていない。

どうやら原作では景が「ブルーモルフォ」を運営していたらしく、映画版では景は単なるブルーモルフォを知っている学生としか描かれていない。

景が影で多くの学生にブルーモルフォを広めていたのであれば分かるが、そのような描写はない。

やはり、映画版でもブルーモルフォを景が運営していたことにしないと意味不明になってしまうのではないか。

③人は暗示程度で自殺しない

ブルーモルフォというゲームをした人間は自殺したくなっていくという設定で物語は進む。
これが催眠術なのか洗脳なのか不明だが、暗示程度のことで簡単に人は自殺しない。

少なくとも催眠術で人を自殺に追い込むことはできないことは心理学・神経科学の観点からは不可能とされていることは有名。

催眠術で人を自殺に追い込めるならば、この世は完全犯罪だらけになってしまう。

④景のカリスマ性

根津原殺しは、景を慕っていた友人二人の犯行であったわけだが、どうしてそこまでの景にカリスマ性があるのか不明。

映画の中で景の部屋の中から心理学の本を見つけるシーンがあるが、心理学の本を数冊読んだ程度で人を自由に動かせるのであれば、精神医学やカウンセラーも苦労はしない。

ブルーモルフォの設定も含めて、このあたりにリアリティだったり、説得力が全く感じられない原因がある。

総じて、人に勧められるような作品ではなかった。
長尾謙杜と山田杏奈のファンの方はどうぞ。

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