映画「竜とそばかすの姫」あらすじ&感想 ツッコミどころ満載のイマイチな残念作品となった理由とは

映画「竜とそばかすの姫」は細田守監督の最新作。
母を亡くしてから内気なってしまった女子高校生の物語。

竜とそばかすの姫

Story

主人公の鈴(すず)は、超ド田舎に住む女子高校生。
鈴が幼い頃、鈴の母は川に取り残された子供を助けた際に死んでしまう。

鈴は母から音楽を学び、歌うことが大好きだった。
しかし、母親が死んで以来、歌うことができなくなっていた。

ある日、鈴は仮想世界「U」に招待される。
「U」は、耳に取り付けたイヤホン状の機器から、登録者の肉体と精神を読み取り、仮想世界上のキャラクターを作り出す。

鈴は、そのキャラクターに「BELL(ベル)」と名付ける。
仮想世界でBELLとなった鈴は歌うことができた。
その美しい歌声が、たちまち評判となっていく。

BELLがコンサートを行おうとしたところ、竜と呼ばれる戦闘タイプのキャラクターが登場。
竜は「U」の世界で暴れまわり過ぎて、仮想空間の住民から嫌われ追われる身となっていた。

竜と出会った鈴は、その悲しみに満ちた目を見て、彼を救いたいと願う。
そして彼を救うことにより、死んだ母の気持ちを理解できると考えたのだった。

鈴の仲間たちの力によって竜の正体が判明。
それは父親の暴力に耐えている幼い兄弟の兄であった。

鈴は兄妹を救うため、会いたいと申し出るが、信用できないと断られてしまう。
鈴は信用を得るべく、仮想世界で正体を明かし、BELLとしてではなく、鈴として歌うことを決意。

しかし、鈴は人前で歌おうとすると嘔吐してしまう。
そのことを知っていた親友のヒロちゃんは止めるが、鈴は勇気を出して歌い始めるのだった。

ツッコミどころ満載

本作品はツッコミどころが満載。

① 母親が助けにいくのが早すぎる

鈴の母親は川の中州に取り残された見ず知らずの子供を助けたことで死ぬ。
しかし、その中州は結構デカい。
消防隊員を待つ時間は十分にありそう。

中州が小さくなっていき、遂に子供が流されそうになった瞬間に母親が川に飛び込むような描写だったら分かるのだが、あの状況で川に飛び込むのはただの無謀。
つまり母親の行為に全く同情できない。

② 鈴が竜の正体を知りたがる理由が分かりづらい

鈴は竜の正体を知りたがることとなるが、コンサートを邪魔されただけでは知りたがる理由にはならない。
「母と同じように見ず知らずの他人を助ける主人公」という設定にしたいのは分かるが、強引過ぎる。

③ 一人で助けにいく必要性はない

竜の正体である虐待されている兄妹を鈴は「一人で」助けに行くが、一人で行く必要は全くない。
旅費の問題か。

④ 兄妹を助けたことになっていない

鈴は虐待された兄妹のところにたどり着き、都合よく虐待されているところに出くわし、「1回だけ」守るが、虐待の根本的な解決に全くなっていない。

⑤ 竜が嫌われる理由が不明

竜が警備隊的なキャラに追われるシーンはあっても、悪さをしているシーンが無いため、「U」の世界で嫌われる理由が不明。

⑥ 仮想世界への認証機器への違和感

仮想世界「U」に入るためにはイヤホン状の機器を耳に装着する。
その機器は装着するだけで、その人の肉体や精神の奥深くまで自動で認証する。
映画の時代設定は現代なのに、この機器だけ遠い未来のテクノロジーが採用され、超違和感。
こんな機械は少なくとも私が生きている間には開発されない。

⑦ 無駄な友人のラブコメ

鈴の友人たちの、ちょっとしたラブストーリーが入るが、物語全体と何の関係もなくムダ。

 

トラウマの克服

トラウマ

多くの人がトラウマを抱えて生きている。

鈴の場合は母親の死。
母親が死んで以来、内気で自信の無い人生を送る鈴。

しかし、母親を幼い頃に亡くした人は他にもいる。
母親を亡くした人の全てが内気で自信の無い生き方になるかと言えば、そんなことはない。

心理学者のアルフレッド・アドラーは「トラウマなどない」と言い切る。
アドラーに言わせれば、トラウマは「言い訳」。
自分の自信の無さをトラウマのせいにしている。

その言い訳をしている自分を変えるには「勇気」しかない。
本映画では鈴は最後に勇気をふりしぼって歌いだし、人として一つ成長していく。

人の成長に必要なことは努力より勇気だ。
そして勇気に付き物なのが「失敗」。
失敗の可能性がゼロであれば勇気はいらない。

失敗を避けて、なるべく挑戦をしない人生を歩むことも可能ではある。
しかし、失敗が少ない人生とは、その分、成長も無い人生となる。

本映画の欠点は、ここにあると思う。
「失敗」を描いていない。

トラウマを乗り越えるために何度も挑み、何度も失敗する。
それでも挑み続けながら主人公が成長していくような映画を作って欲しかった。

また、細田監督のインターネット空間への圧倒的な期待と信頼が、平均的な感覚とズレている。
仮想空間は、どこまで行っても仮想であり現実ではない。

同じ会話を交わすにしても、インターネット上と、現実でのface-to-faceでの会話は別物。
しかし、どうやら細田監督は限りなく同じだと考えているらしい。
そこを改めないと、今後の作品にも何ら期待できない。

本作品はカンヌ映画祭で上映され絶賛されたようだが、歴史に残るよう傑作とは言えない。
細田監督には、もっともっと時代と人間の本質に「問題意識」を持って映画をつくってもらいたい。

時代と人間は常に危機の中にある。
今の時代に生きる人間にとっての危機とは何なのか、そこから始めてもらいたい。
そんな映画が観たいのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です