門田隆将著「新・階級闘争論」 共産主義革命運動は終わっていなかった!

新階級闘争

日本ほど階級を感じさせない国は他にないのではないか。
職場に行けば上司と部下という区分はあるが、「階級」と呼ぶほどの差は無い。

しかし、世間では階級闘争めいたことが日々起こっている。
これを作家の門田隆将氏は「新・階級闘争」と名付けた。
そして、この新たなる闘争を明らかにしたのが門田氏が書いた「新・階級闘争論」。

新・階級闘争とは、
『たとえ小さく些細なものでも、そこにある「差異」をことさら強調することによって”差別の被害者”を生み出し、それに対する「不満」を利用して、本来はあり得ない一種の「階級闘争」に持っていくものだ。・・・つまり、「差別する側」と「差別される側」の二つの概念上、つくり上げたうえで、大衆をそれぞれのジャンルの”被害者に持っていく”のである。』
と、定義している。

門田氏は新・階級闘争の典型例として、「「新潮45」に執筆した杉田水脈議員の記事をめぐるLGBT差別騒動」と「女性蔑視発言(実際は女性を称えていた)をしたとして、メディアやSNSの”集団リンチ”の末、東京五輪組織委員会会長の座を追われた森喜朗氏」の二つを挙げている。

二つの例とも「差別」「蔑視」「不平等」といった誰も反対できない概念を突きつけ、いじめ、血祭りにあげたのだった。

本書では新・階級闘争の具体的な現れ方として「キャンセル・カルチャー」を説明している。
キャンセル・カルチャーを門田氏は本書の中で、
「その人物の言葉の一部、あるいは過去の思想や発言の一つの側面を捉えて糾弾し、その存在すべてを否定し、非難すること」
と、定義している。

上記の杉田議員も、森会長も、一つの発言を切り取られ、全人格を否定されたキャンセル・カルチャーの被害者だった。

 

死んでいなかった共産主義革命運動

新・階級闘争があるとするならば、旧階級闘争とは何だったのか。
マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』によると、
「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」
としていた。

この階級闘争により革命が起きて無階級社会なる理想の世界が誕生するらしい。
しかし、ご存知のとおり、この思想が敗北したことは歴史が証明している。

かつて日本においても学生たちが共産主義革命を夢想していた時代があった。
1960年代から70年代にかけて学生運動。

その学生運動を取り扱ったドキュメント映画「三島由紀夫VS東大全共闘」の中で、元全共闘学生であった木村修に「全共闘の敗北を、どう捉えているか」との質問をするシーンがある。
「敗北したとは思っていない。一般的な社会風潮に拡散したと思う。」
と、答えている。

この木村氏の回答は真実なのではないだろうか。
共産主義、無政府主義、反保守主義という名の全体主義は、インターネットという増幅器を使って復活しつつあるのではないか。

その復活の発露が新・階級闘争。
一般的な社会風潮として拡散した「無自覚な全体主義」がマスコミに浸透し、既存のメディアにプラスしてインターネットという武器を駆使して、あらゆるところで新・階級闘争を勃発させ、政府だけでなく、日本の歴史と文化を破壊しにかかっている。

問題は、この無自覚で、偽善的な全体主義者が起こす新・階級闘争は、昭和の学生運動と違って分かりづらく、狡猾で、卑怯であるところだ。

だから常にマスコミが流す情報に我々は最新の注意を払わなくてはならない。
もっと言えば、この行き過ぎた民主主義の日本の中、実質の権力者であるマスコミが反権力を気取っていることに気づかなければならない。

一人でも多くの者が、門田隆将氏の「新・階級闘争論」を読むことを望む。

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