映画『正体』ネタバレ感想:高評価が不可解!原作との違いやリアリティ不足を徹底分析

映画「正体」を公開初日に鑑賞。
染井為人(そめい ためひと)による同名小説が原作。

主演は横浜流星。
監督は藤井道人。

本作の映画サイトの評価は高い。

なにより藤井監督が製作し、今年公開された映画「青春18×2 君へと続く道」は最高に泣けた。

期待を膨らませて鑑賞したが、結果は残念なものだった。
個人的な評価としては「Bー」。

もしかしたら映画サイトの高評価は組織票なのかも。
(配給の松竹というより、横浜流星ファン?)
そう疑いたくなるくらい、面白くない。

ジャンルとしてはサスペンスで、無実の死刑囚である鏑木(横浜流星)が、自分の身の潔白を証明するために脱獄。
日本中を転々としながら、逃亡を続けて事件の真相を探っていくという物語。

昭和生まれの鑑賞者のほとんどはハリウッド製作の「逃亡者」が頭に浮かんだと思う。

「逃亡者」は1993年にハリソン・フォード主演で製作された映画でヒットしたが、「正体」は日本版「逃亡者」といったところ。

そして残念ながら「逃亡者」の方が断然面白い。
というのも肝心な部分にリアリティがないのだ。

産経新聞による本作の映画紹介に「社会派作品と呼ぶ人が多いだろうが、小欄はファンタジーとして見た。そのほうが、この逃走劇は現実感をもつ。」とあったが、そのとおり。

どのあたりがファンタジーかをネタバレで指摘すると、ずばり主人公である鏑木の誤認逮捕及び死刑判決の点である。

真犯人が殺人を犯した直後に鏑木は叫び声を聞いてかけつけ誤認逮捕される。
そこまではいいが、どんなにズサンな捜査をしたとしても、さすがに直ぐに誤解は解けるはず。

これが真犯人によって、巧妙に仕組まれたワナであったなら分かるが、そうでないから呆れるばかり。

ここが本作の最大のツッコミどころであり、欠点であり、ファンタジーとして目をつぶるしかない。

原作はどうなっているか気になったので、鑑賞後に小説を読んでみる。
原作も誤認逮捕の部分は、ほぼ一緒だった。

小説の「あとがき」で作者の染井為人も書いているとおり、本作は「エンタメ小説であり、ただの娯楽本」なのだ。

せっかく原作小説を読んだので、映画版との主な違いを3つほど挙げておく。

① 逃亡エピソード数等

映画版「正体」では、鏑木の逃亡先として「工事現場」、「情報提供サイト会社」、「老人グループホーム」の3つが描かれていたが、この3つに加えて原作小説では、「旅館」、「パン工場」の2つのエピソードがある。

「旅館」編では、渡辺淳二という痴漢で誤認逮捕されて弁護士業務ができなくなった男が、スキー場に隣接する旅館で逃亡中の鏑木とともに働く物語。

映画での渡辺淳二は安藤淳二という役名で一時的に自分の部屋で鏑木を同居させる安藤沙耶香(吉岡里帆)の父という形となっていた。

「パン工場」編は映画の中でも回想のような形で一瞬映像化されているところで、このパン工場には鏑木が誤認逮捕された殺人事件の唯一の目撃者である井尾由子(原日出子)の妹「笹原浩子(西田尚美)」が働いている。

ここで鏑木は笹原浩子と接触し、井尾由子が入居している老人グループホームの場所を探り出していく。

映画版にはないエピソード部分でも鏑木は正義の人として周囲から認知されつつも、最後は逃亡することとなっていく。

② 唯一の目撃者「井尾由子」の記憶

鏑木の脱獄の目的は事件の唯一の目撃者である井尾由子に接触し、真実を語ってもらうことであった。

映画版では、懇願する鏑木に対し、かなりの間を開けてから「わたしのせいで・・・」くらいしか言わずに終わる。

映画を観ていて「それだけかい!!」ってイライラしてしまったが、小説版は鏑木が確保された後ではあるものの、「犯人の顔は、あの子ではない」とはっきり語っている。

本作にカタルシスがなく面白くない原因の一つが、このあたりにある。

上述した「逃亡者」のハリソン・フォード演じるキンドルは、自分に罪を着せた真犯人を自白させるために様々な証拠を探りだして追い詰めていく。

しかし、今回の「正体」の鏑木は、キンドルと違い、探っていたのは殺人現場の唯一の目撃者である認知症の老人を見つけて、当時のことを思い出してもらうというものであった。

辛くて長い逃亡だったのにも関わらず、結局、井尾由子には中途半端にしか思い出してもらえず、なんのカタルシスもなし。。。

ここはパクリと批判されても、真犯人を探す物語にして欲しかった。

③ 鏑木慶一の生死

映画版と原作での一番の違いが鏑木慶一の生死。
鏑木は映画版でも小説でも、グループホーム内で警察に追い詰められて、最後は銃で撃たれてしまう。

映画版では助かっているが、小説版では射殺されて死に、被告不在で裁判が行われるラストとなっている。

小説のあとがきに、多くの読者から「鏑木を死なせないでもらいたかった」という声が寄せられたという。

その読者の気持ちも分からないでもないが、映画版を見て、死んでくれた方がよかったと思った。

映画版で普通に生きていた鏑木を見て、「だったらさっきの発砲シーンはいらなくない?」と失笑してしまった。

しかも鏑木が射殺された方が、本作のテーマである「冤罪の恐怖」がより強化されたのではないか。

「鏑木が生きていて無罪を勝ち取る」とする映画版は、「冤罪の恐怖」が薄まってしまった。

もう一つだけ原作との違いを挙げるとすれば、ラスト付近で又貫刑事(山田孝之)が接見室で鏑木に「どうして逃げたのだ?」と質問するシーン。

この問いに鏑木は「この世界を信じたかったから」的なことをいうが、この問答は小説にはない。

なくて当然で、「どうして逃げたのか?」と聞くのは明らかにおかしい。

鏑木が逃げたのは自分の潔白を証明するためであって、そんなことは又貫刑事だって分かっていたはずだし、しかも「この世界を信じたかったから」というのは答えになっていない。

ちなみに小説版での又貫刑事は、映画ほどの活躍はなく、記者会見のシーンもない。
松重豊が演じていた警察幹部も小説には出てこない。

とにかく今年一番映画サイトの高評価が不可解だった作品。
もしかしたら、私以外の人には大変面白い作品なのかも。

気になる方はご鑑賞あれ。

“映画『正体』ネタバレ感想:高評価が不可解!原作との違いやリアリティ不足を徹底分析” への1件の返信

  1. 「リチャード・キン”ブ”ル。職業、医師。正しかるべき正義も・・・」
    私はドラマ版のトンデモ最終回が結構好きでしたw
    正体は本日鑑賞しましたが、尺の割に内容が薄い気がしました。

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