人が生きる意味とは? 幸せになるための8つの方法

幸せ

人は何のために生きるのか?という根本命題があります。
過去、現在、未来と、あらゆる人を悩ます問題です。

ただ、もし私が「あなたは何のために生きているのか?」と問われれば、「そりゃぁ、幸せになるためです。」と、あっさり答えることでしょう。

そうなると次に問題になるのが「幸せとは何か?」ということになります。
これは簡単に答えられそうにありません。
つまり、人生論とは幸福論に他ならないのです。

自分の意志で生まれたわけでもなく、親も、男女も、国も、時代も選べず投げ出されたものが人生です。

それでも何とか幸せに生きてみたいと、日々を乗り越え、今、どうやら私は幸せの中にあるようです。

そんな私が思う、幸せになるための8つのことをご紹介します。

1 真に自由に生きること
2 人のために行動すること
3 笑うこと
4 苦難を受け入れること
5 熱中する趣味を持つこと
6 自分を知り、自分を愛すること
7 ビジョンを持つこと
8 運動を習慣化すること

1 真に自由に生きること

自由

大抵の人は、会社や、学校などのルールに縛られ、不自由の中に生きていると思っています。

しかし、実際はそんなことはありません。
何故なら、会社・学校に行かない、辞めるという選択肢だってあるからです。
実際は自分の意志で会社や、学校に行っているのです。

会社に行くことだけではありません。
帰宅後の生活、休日の過ごし方等々、人生は選択の連続であり、人間はその無数の選択肢の中から自由に選んで生きています。

問題は、その様々な選択の決定を、本当に自分で考え、自分の意志で決めているかです。

インターネットが生活に入り込み、大量の情報が飛び交うなか、その情報の波に流されず、情報を正しく判断し、受容していくことは難しいことかもしれません。

それでも、これだけは絶対に断言できます。

他人の言うことだけを信じて生きていては、決して幸福にはなれません。

自由とは、自分で考え、自分で判断し、自分で決断していくことです。
自由とは精神的な独立です。

そして、自由とは「束縛からの解放」だけを意味するものではありません。
「○○からの自由」ではなく、「○○への自由」。
これが真の自由への第一歩です。

会社に行くのも、学校に行くのも、スポーツのルールを守るのも、社会の習慣やマナーを守るのも、自分の意志でそのルールに従えば、それは自由な人生となります。

自分の意志で決めない人生は、死んだ人生です。
死んだ人生が幸福なわけがありません。

ここで気を付けなければいけないことが一つあります。
それは自分の意志と本能(欲望)の区別です。

例えば、食欲、性欲などです。
これは自分の意志ではありません。
欲望に従った生き方は、自由どころか欲望の奴隷です。

情報と欲望に打ち克つこと。
これは真に自由で幸福な人生を歩む大事な条件だと思います。

2 人のために行動すること

助け

幸せと似て非なるものとして「快楽」があります。
金。セックス。ドラッグ。などなど。

そんなマモニズム(拝金主義)、刹那主義の類いの「快」は、そのときだけのものです。
後に残るのは虚しさだけです。

「富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど渇いていく。」と言った哲学者がいました。
その通りです。

人間は、他人のために行動するときに、真の幸福を感じるという、逆説的で、不思議な生き物です。

人は自分の生活のため、お金のために働いているわけですが、それだけが理由になっているわけではありません。
民間会社でも、公務員でも、その仕事により、どこかの誰かの役にたっています。
それが「遣り甲斐」や、「生き甲斐」になっていることもまた事実なのです。

子供を育てることは、いい例でしょう。
私には小学生の子供が二人います。

彼らに対し、いくら費やしたか、また、これからいくら費やすのか分かりませんが、別に投資対象としているわけではありまん。
お金を増やして返して欲しいなどと思ったことはありません。

それでは何故私は子供を育てるのか。
それは私が子供たちに使ったお金以上の幸福を子供たちから受け取っているからです。

もしうちの子供たちが、明日、交通事故で死んでしまったとしましょう。
当然、事故を起こした相手から莫大な補償金がもらえるでしょう。
そして、明日以降、子供たちの養育費は不要となり、お金が余ることとなります。

高価な車が買えるかもしれません。
広い家が買えるかもしれません。

しかし、それで私の人生は幸福になったと言えるのでしょうか・・・。
給料が倍になっても自殺する人はいます。給料が半分になっても生き甲斐を感じる人もいます。
それが人生です。
自分のためだけに費やすセコイ人生は、やめにした方がよさそうです。

3 笑うこと

笑い

幸福の象徴の一つに「笑い」があります。
笑いながら、悲しい思いになることは、まずないでしょう。
重要なのは、「楽しいから笑う」のではなく、「笑うから楽しくなる」ことです。

日本には「バラエティ番組」だったり、「お笑い番組」などと呼ばれるテレビ番組がたくさんあります。
私が好きなのは「イッテQ」。
毎週、爆笑させてもらっています。
その度に元気になっています。

笑える映画もたくさんあります。
代表はなんといっても「男はつらいよ」シリーズです。
この映画を見て気持ちが沈む人はいないでしょう。

この世で最も人類に貢献している職業はお笑い芸人かもしれません。
日本には面白い芸人さんだらけです。
皆さんもケタケタ笑って、元気になりましょう。

もう一度言います。
「楽しいから笑う」のではなく、「笑うから楽しくなる」のです。

4 苦難を受け入れること

苦難

仏教では、人生の苦しみを「生老病死」として、大きく4つに分けて、四苦と読んでいるそうです。

生きる苦しみ。
老いる苦しみ。
病める苦しみ。
死ぬ苦しみ。

これに次の4つを加えて八苦とする場合もあるそうです。

「愛別離苦(あいべつりく)」愛する人と別れる苦しみ。
「怨憎会苦(おんぞうえく)」怨むべき人と会う苦しみ。
「求不得苦(ぐふとっく)」求めることが得られない苦しみ。
「五陰盛苦(ごおんじょうく)」肉体の苦しみ。

確かに、この8つの苦しみからは誰も逃れられそうにありません。
正に人間は四苦八苦して生きています。

逆に言えば、自分だけが苦しいのではないのです。
いつも楽しそうに見えるあの人も、実は不安と焦燥の中に生きているのです。

もし不安と焦燥を感じない人がいたら、それは嘘をついているか、若しくは、ただのバカかのどちらかでしょう。

苦しいということは、自分が正気を保っている証拠でもあるのです。
しかし、苦しみのない幸福などあるのでしょうか。

ない。
苦しみと幸福はセットなのです。

苦しいときは、素直に助けを求めることも必要ですが、たまには、武将の山中幸盛よろしく「我に七難八苦を与えたまえ!」と笑いながら叫んでみるというのはどうでしょうか。

失敗が成功のもとであるように、苦しみは幸福のもとなのです。

5 熱中する趣味を持つこと

熱中

私の趣味はスナップ写真です。
カメラを持って、街を歩いていると、どんな被写体も撮り逃すまいと全身がセンサーとなって研ぎ澄まされます。

いい被写体と出会い、露出を決め、シャッターを押すまでの一時は、日常の雑事や、ストレスから解放されます。

「人が生きる目的とは?幸福とは?」という疑問をいくら頭の中で考えても答えは出ません。
そんな疑問が必要なくなったとき、その答えを「感じている」のが本当のところでしょう。

私はカメラを持って、被写体と向き合っている間、人生の苦悩とは無縁となり、幸福の中にいます。

他にも私は映画を観ることが好きです。
いい映画は、登場人物に感情移入し、日常から離れ、そのドラマの中に入り込みます。

エアガンも好きです。
マニアではないし、サバイバルゲームはしない、いわゆる「お座敷シューター」ですが、息を止め、的に集中している瞬間は、トリガーを引くこと以外の一切が頭から消えます。

そんな集中する時間を持つことも、幸福な人生を送る大事な要素だと思っています。

6 自分を知り、自分を愛すること

地蔵

案外と人間は自分で自分のことを分かっていません。
どこにでも自信過剰な人はいます。

逆に能力は高いのに卑屈になっている人もいます。
私は常々、大人と子供の差は、本来の自分と、自分がイメージする自分と合っているかどうかだと思っています。

大人になるには、自分を試さなければなりません。
試さなければ、自分が何ができて、何ができないのか分かりません。

しかし、自分を試し、自分を知ることは大変なことです。
自分を試すということは、日常のコンフォートゾーン(快適空間)を出なければなりません。

そして自分の弱さを認めなければなりません。
しかし、どの能力が高く、どんなことが不得意かを知らないで、幸せな人生は歩めそうにありません。

そして、自分の弱さを認めない人間が、他人の弱さに寛容になれるとも思いません。

キリスト教の教えに「隣人愛」があります。
これは、身近な人々への愛の戒めです。

聖書には次のように書かれています。
「あなた自身のように、あなたの隣人を愛さなければならない。」

ここで重要なのは前段の「あなた自身のように」のところ。
自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい。

これは、自分自身を愛さなければ、隣人は愛せないことを意味します。
つまり、キリスト教の隣人愛の戒めは、自己愛の戒めでもあるのです。

自分を試し、自分の弱さを自覚し、その弱さごと自分を肯定する。
自分を愛さない人生は人生ではありません。

ここで気を付けなければならないのが、自己愛とナルシシズムの違いです。
日本では自己愛をナルシシズムと訳しますが、全くの間違いです。

ナルシシズムは、その語源のギリシャ神話のとおり、鏡に写った自分、つまり他人の目の中にいる自分を愛することです。

ナルシシズムは、他人からの愛や、称賛に価値を置く思想です。
他人からの評価を気にしていたら、不幸な人生へまっしぐらです。

上述したとおり、自分を知ることは大変なことです。
しかし、これほど面白いことはなさそうです。

何故と言って、自分を知ることは、他者を知ること、世界を知ることだからです。
一生をかけて自分を試し、自分を知り、他者を知り、世界を知る。

幸福な人生を送っている人は、こんな人生を送っているのではないでしょうか。

7 ビジョンを持つこと

ビジョン

人生は有限です。
時は瞬く間に過ぎます。

少年老いやすく、学成り難し。
私など、多趣味なので、毎日時間が足りなくて困っています。

年齢を重ねる度に、一年が早く感じます。
無駄なことをやっている暇はありません。

無駄とは何か。
それは自分が人生に持つビジョンと関係のないことです。

ビジョンはゴールと言い換えてもいいかもしれません。
ビジョン・ゴールが無い人は、自分が取り組んでいることが、無駄か、無駄でないか判断できません。

結果、無駄ばかりの人生になることでしょう。

逆にビジョンがある人は、今、自分が何をすべきか分かっているため、無駄が少ない。
短い人生、そしてたった一度の人生を幸福に生きるには明確なビジョン・ゴールを持つ必要があります。

ちなみに、私は、いつか本を出したいというビジョンがあります。
それが、人生論になるのか、映画に関するものなのか、はたまた写真なのか分かりません。

しかし、このビジョンに基づいて様々な行動をしています。
このブログも、そのビジョン実現に向けての一つの実験です。

8 運動を習慣化すること

運動

私は「エニタイムフィットネス」というスポーツジムの会員です。
24時間営業。年中無休。

平日は毎日5時に起きて、6時から7時の1時間、軽い運動をしてから出勤しています。
朝、運動するのは、単純に帰宅後に行くと混んでいるという理由もありますが、帰宅直前に運動するとビールが超絶美味しくなり、ついつい飲み過ぎてしまうからです。

ネットで調べても、夜よりは、朝に運動した方がいいようです。
私の場合、運動は、肉体の鍛練というよりは、質の高い睡眠が主目的です。

体が適度に疲れていないと、眠気が生まれません。
適度に運動して、グッスリ眠る。

これ以外の健康法はないでしょう。
不健康で幸福な人生を送れるわけがありません。

定期的な運動を習慣にしましょう。

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