【ネタバレあり】映画『大きな玉ねぎの下で』感想・評価!偶然が重なりすぎても泣ける理由

映画「大きな玉ねぎの下で」を公開から4日目に鑑賞。

昼はカフェ、夜はバーになるという店で別々に働いていた男女が、昼と夜の連絡ノートを通じて恋に落ちていく物語。

本作は1989年(平成元年)にリリースされた爆風スランプ15枚目の同名のシングル曲(正確には「大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い」)にインスパイアされて作られた作品。

大ヒットソングにも関わらず、意外に分かっていない人が多い人が多いようなのだが、「大きな玉ねぎ」というのは、日本武道館の屋根の上に設置されている黄金の擬宝珠(ぎぼし)を指している。

監督は草野 翔吾。
神尾楓珠(ふうじゅ)と桜日ひよりのW主演。

<ここからネタバレ>

爆風スランプの曲はコンサートに誘った相手が現れないという失恋ソングだが、映画は失恋の物語ではない。

観客は「曲のとおりにならないでくれ!」と自然と切なく苦しくなり、涙が溢れるのは草野監督の手腕だと思う。

意図してるかどうかは分からないが、全体的に派手過ぎにならないように抑えた演出をしているように感じた。

そこがテレビドラマとは違う、映画的な趣きを醸し出していて、素晴らしい仕上がりになっていたと思う。

個人的な評価としては「A-」。
普段映画を観ない人にも勧めたくなる作品だった。

冷静にストーリーを追っていくと、偶然が多すぎる。

  • 丈流(たける)の両親も丈流と同じく文通により恋に落ちる
  • 丈流の両親の文通は共に代筆であり、代筆者同士が恋に落ちる
  • 丈流の友人を救助した救命士(飯島直子)が丈流の母親の親友
  • 丈流と美優が聞いていたラジオ番組の司会「タイジュ」が丈流の父親の親友
  • 看護学校学生である美優の実習先が丈流の母親の入院している病院
  • 丈流も丈流の父も文通相手に武道館でのコンサートのためのチケットを相手に送るが現れなかったが、恋に落ちる

これらの連続した偶然に不自然さを感じるどころか、偶然が成就するよう願うほどの境地に達してしまうから不思議。

これは脚本を担当した髙橋泉の力だけでなく、草野監督の手腕だと思う。

草野監督の作品は昨年公開された「アイミタガイ」を観ているが、こちらも鑑賞後に幸福感に包まれる素晴らしい作品だった。

「大きな玉ねぎの下で」では、ラストシーンの演出が素晴らしく、抱きしめあうかと思いきや、どこか照れくさそうに会うところが余韻を残す。

本作のキーとなるセリフ「自分に嘘をついても、会いたいという気持ちは消せない。」という言葉が観客の心を捉えて、ラストに盛り上がっていく。上手い。

理性的には嫌いでも、感情的には好きであるということは実際にもあり得ると思う。

キャスティングもよかった。
特に桜田ひよりの「顔」がいい。
ブスなのか、可愛いのか分からない、あの独特な顔がスクリーンに映える。

本作を観て「手書き」の文通に憧れてしまった。
私は字が汚いので死ぬまで手書きの手紙を書くことはないだろうが、手書きで手紙を書くと本音が言えるのかもしれない。

冒頭書いたとおり、本作は爆風スランプの曲にインスパイアされた作品だが、偶然にも現在上映中の映画「366日」も同名の曲を映画化している。

「366日」の方の私の評価は「インチキ感動ポルノ映画」。
悔しいが「366日」は大ヒット中。

ネタバレになるが、「366日」は難病を連発し、それを宣伝で隠していた。
このようなやり方は卑怯極まりないと私は思う。
このブログでも「366日」は酷評しているので、是非、そちらも読んでいただきたい。

ちなみに2月7日から公開の新作映画「ファーストキス 1ST KISS」、「ショウタイムセブン」、「野生の島のロズ」、「大きな玉ねぎの下で」の四本を私は鑑賞したが、断然「大きな玉ねぎの下で」を推す。

是非、多くの方に「大きな玉ねぎの下で」を鑑賞いただきたい。

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