【ネタバレ】映画『君のクイズ』原作との違いを徹底解説|改変された5つのポイント

映画「君のクイズ」を公開から二日目に鑑賞。
事前に原作小説を読んでから映画を鑑賞。

監督は「沈黙の艦隊」「ハケンアニメ」の吉野耕平。
中村倫也と神木隆之介のW主演。

CM動画から予想はしていたが、映画は原作からは大きく改変されていた。
個人的には今回の改変は、ほとんどの部分で大変素晴らしいものであったと思う。

原作小説を忠実に映像化したことを想像すると、確かに映画的には地味。

この地味な物語をエンタメ映画のルックスになるように改変されていて、それは成功していると感じた。

今回も原作と映画との違いをネタバレ有りで紹介していきたい。
主な違いは次の5つ。

①Q-1グランプリ決勝シーン

映画の前半、Q-1グランプリの決勝シーンが長く続く。
原作小説も冒頭にQ-1グランプリの決勝シーンから始まるが、小説では最後の2問だけが最初に描写される。

小説におけるQ-1グランプリ決勝の全体は小説の中盤で三島が行う検証シーンで語られていく。

また、ゼロ文字回答の「ママ.クリーニング小野寺よ」の問題文を映画では直ぐに提示されていたが、小説では、しばらく読み進めないと分からない。

この答えはインパクトがあっていい。

ちなみに「ママ.クリーニング小野寺よ」という店名のクリーニング店は実在し、ウィキペディアによると山形県を中心に、宮城県・秋田県・新潟県の4県で約270店舗を展開している。

しかも、映画で使われていた同クリーニング店のテーマソングも本物。
昭和感があって、なかなかいい曲だ。

原作小説を事前に読み、「ママ.クリーニング小野寺よ」というクリーニング店が実在することを知っていた私は、映画化において改変するかもしれいないと予想していた。(例:「パパ.クリーニング山田よ」)

しかし、原作小説も映画もゼロ文字回答の「ママ.クリーニング小野寺よ」は変更されていなかった。

②クイズプレーヤー等の登場人物

映画では決勝に進めなかったクイズプレーヤーたちが数人いて、セリフもあった。

小説では本庄と三島を除くとクイズプレーヤーとしては富塚と片桐という中年男性らしき二人だけが登場し、登場シーンも多くない。

映画での片桐はユースケ・サンタマリアが演じる雑誌記者であったが、小説には雑誌記者は一切登場しない。

また、映画の冒頭で学生だったころの三島に声をかける先生が出てきたが、小説には出てこない。

③やらせ検証

映画ではQ-1グランプリの後、ムロツヨシが演じていた総合演出の坂田泰彦の企画で生放送の番組で検証が行われる。

小説では三島は「自分で調べるしかない」という思いに達して、自分一人で検証を始める。

その関係で小説での坂田泰彦というキャラは、三島とのメールでのやりとりが1回あった程度で、セリフを伴う形での登場はない。

ここが原作小説と映画の大きな違いの一つとなっている。

④元恋人「桐崎」

原作小説、映画ともにクイズで知り合った三島の元恋人として桐崎は登場する。

映画では三島と桐崎は「Undertale」というゲームを二人でプレイしていることになっているが、小説では「刀剣乱舞」というゲームを桐崎がやっていて、そこで日本刀に興味をもったという形になっている。

小説でも「Undertale」は問題の答えとしては出てくるが、Undertaleも刀剣乱舞も物語には大きく関係しない。

また、映画での桐崎は妊娠し、流産しているが、小説では三島と同棲し、同棲に疲れたといって別れる程度の物語となっていて、映画にはあった三島が桐崎に会いに行くシーンも小説にはない。

⑤ゼロ文字回答の必要性

小説も映画も「何故、本庄はゼロ文字回答できたのか?」という謎が解き明かされていくわけだが、小説では、これに加えて「何故、本庄はゼロ文字回答をする必要があったのか?」という謎も提示される。

「ママ.クリーニング小野寺よ」という答えは問題文を全部読まれていても三島には答えられない問題であり、そのことを本庄も知っていたはず。

知っていたなら、本庄は問題文を読ませてから答えれば、やらせ疑惑など起こらなかったわけである。

それにも関わらず、どうして本庄はゼロ文字回答をしたのか。

それは本庄が立ち上げたyoutube番組の登録者を増やすためであった。
いわゆる炎上商法というやつだ。

映画の後半にあった三島と本庄が対峙して会話を交わすシーンは、小説でもある。(小説ではスタジオではなくてレストラン。)

小説での本庄はQ-1グランプリ以前に出演したクイズ番組で「ママ.クリーニング小野寺よ」という回答の瞬間に「クイズに救われた」として泣き崩れたというウソ話をyoutubu番組で話して視聴者に感動を誘う動画を作ると三島に伝える。

そして、その動画に三島にも出演して欲しいと依頼する。

映画では泣いたのではなく笑いをこらえていたということになっていたが、小説では番組のMCに「地元の問題しか正解できないのか」とからかわれ、本庄はムッとした表情になったためにカットされたとしている。

映画ではyoutubeの話は一切ないために、「何故、本庄はゼロ文字回答をする必要があったのか?」という謎には触れられていない。

この5つあたりが大きな違いであるが、他にも細かい改変、省略は多くあるので、是非、小説版も読んで確認いただきたい。

個人的に残念に思った省略が一つある。

三島がクイズにあたり、「恥ずかしいという感情を捨てた」というエピソード。

三島が高校生の頃にクイズで勝てずにいたところ、部活の先輩から「お前は誤答を恥ずかしいと思っているから負けるのだ」と指摘される。

あるクイズ大会で三島は「人間ドック」という答えを間違えて、「人間ドッグ」と言ってしまい周囲から笑われた過去があった。

その先輩の言葉に三島は「間違っているのは誤答することではなく、恥ずかしがって何も答えないことだ。」と決意する。

人間が成長するには「恥をかく」というのは重要な経験。

何もしなければ恥をかくことはない。
しかし、何もしなければ人は成長しない。

この素晴らしいエピソードを映画で省略したのは、ちょっと不思議。
いい話だと思うのだが…。

ともかく大きく改変・省略されているとはいえ、面白く仕上がっていたと思う。
映画が面白いと感じた方は是非小説の方も読んでみて欲しい。

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