毒親に苦しむすべての人へ―映画「愛されなくても別に。」感想と考察
映画「愛されなくても別に。」を公開初日に鑑賞。
毒親を持つ女子大学生の物語。
主演は南沙良と馬場ふみか。
監督は井樫 彩(いがた あや)という若い監督。
南沙良は母子家庭で大学生の宮田陽彩(みやた・ひいろ)を演じる。
宮田は学費を自分で稼ぐとともに、母親の依頼で生活費も家に入れている。
この母親がクズで浪費家。
それでも母は娘を「愛している」と口癖のように言う。
その言葉が呪縛となって母の面倒を見てしまう宮田だった。
宮田と同じ大学に通い、同じアルバイト先にいる江永 雅(えなが みやび)を馬場ふみかが演じる。
江永は過去に父親にレイプされ、母親からは体を売ることを強要されていた。
今は両親と縁を切っている江永だったが、かつて父親が飲酒による交通事故で女性をひき殺していることから、「あいつの父親は殺人犯」と陰口をたたかれ、大学に友人は一人もいなかった。
ある日、宮田のもとに父親が現れ、父から母に対し、長年にわたり養育費を払い続けていたことを知る。
激怒した宮田は遂に母を見限って、家を飛び出る。
宮田は大して仲が良くもない江永を頼り、二人暮らしが始まる。
暮らしていくうち、二人の間に奇妙な友情が芽生えていくのだった…。
私は若い頃、社会心理学者の加藤諦三の本をよく読んでいたのだが、加藤さんによると親がいない状況というのはマイナスなのではなく、プラスマイナスゼロなのだと書いていた。
つまりプラスにも、マイナスにもなる存在が親というもの。
また、心理学者のアドラーは「嫌われる勇気」を持てと言った。
嫌われる勇気とは承認欲求の否定。
他人の承認を欲求することは他人の期待に応えようとすることで、自分の欲求を無視し、自分の人生を生きていないことになる。
承認欲求を捨て、嫌われる勇気を持たなくては、真に自分の人生を生きていることにはならない。
アドラーがいう「嫌われる勇気」とは、正に「愛されなくても別に。」である。
「愛は与えて初めて愛である」という言葉があるが、両親から愛されずに育ち、人間不信の宮田と江永の二人は、このことを徐々に体感していくところで映画は終わっていく。
セリフも少なく、極めて映画的に撮られていて、心地よい鑑賞後感。
家族愛という仮面をかぶり、子供を支配し、不安の解消に使い、自信の願望を投影するとともに依存してくる親たちの、なんと多いことか。
本作「愛されなくても別に。」は、毒親を持つ、全ての人に観てもらいたい映画だ。