『木挽町のあだ討ち』はなぜ「仇討ち」ではなく「あだ討ち」なのか|映画と原作の決定的な違い
映画「木挽町のあだ討ち」を公開初日に鑑賞。
なかなか面白かった。
久々に人に勧められる作品だった。
配給は東映。
メジャー会社が作った王道の娯楽作品。
主演は柄本佑。
その他、渡辺謙、沢口靖子、北村一輝などなど、豪華キャスト。
イモトアヤコも出ていたりする。
江戸を舞台とした時代劇なのだが、ジャンルとしてはミステリーとなっている。
映画は仇討ちシーンから始まるが、その裏に隠された真実とは如何に!?といった物語。
物語が後半に入ると、何故タイトルが「仇討ち」ではなく、「あだ討ち」とひらがなになっていくか分かっていく。
永井 紗耶子が書いた同名の小説が原作。
私は事前に原作小説を読んでから映画を鑑賞。
あだ討ちの真実や、登場人物などに違いはないのだが、物語の構成が全然違う。
映画と原作小説との違いは次のとおり。
(ここからネタバレ)
① 主人公
映画では柄本佑が演じる加瀬総一郎が主人公となって、芝居小屋「森田座」の面々に仇討ちの話を聞いて回る形で物語が進んでいく。
一方、原作小説は6章に別れて、各章毎に別のキャラクターが一人称視点(独り言形式)で語る形となっている。
ちなみに本作は時代劇で、しかも芝居小屋をモチーフにしていることから、原作小説では「章」という言葉は使わずに、「幕」を使い、第一〜五幕+終幕という構成になっている。
第一幕は木戸芸者(劇場前での客の呼び込み)の一八(瀬戸康史)視点。
第二幕は殺陣師の与三郎(滝藤賢一)視点。
第三幕は衣装担当のほたる(高橋和也)視点。
第四幕は小道具担当の久蔵(正名僕蔵)の妻「お与根」(イモトアヤコ)視点。
第五幕は脚本担当の金治(渡辺謙)視点。
終幕は菊之助(長尾謙杜)視点。
つまり、映画の主人公であった加瀬総一郎は小説では一人称視点としては現れず、全ての章(幕)の聞き手が加瀬総一郎なのである。
しかも、原作小説での聞き手が加瀬総一郎であることは終幕になって明かされ、第五幕までは菊之助の縁者であるとしか表現されない。
映画の加瀬総一郎は飄々とした性格の持ち主として柄本佑が演じていたが、これは映画のオリジナル。
原作小説の総一郎は聞き手としか登場しないため、どのようなキャラクターなのかは、さほど分からないまま物語は終わっていく。
② 森田座の人々の過去
上述したとおり、原作小説では5つの章(幕)を使って、森田座の人々の一人称視点で語られているが、語ったのは仇討ちの話だけでなく、各人の過去を語る。
狂言の「あだ討ち」に加担した森田座の人々は、壮絶な過去を持って芝居小屋にたどり着いている。
その悲惨な過去をもった人情深い人々に囲まれて生きたことにより、菊之助は武士道とは違った視点を持つことができ、結果として狂言「あだ討ち」を決意していく。
映画では、森田座の人々の来し方の部分は少しだけ言及するにとどめていて、ばっさりと省略している。
例えば殺陣師の与三郎。
与三郎は、士官を控えているところ、道場のライバルに闇討ちをくらう。
映画では、これを理由に武士を辞めたことになっているが、原作小説では続きがあり、そこにたまたま現れた物乞いの年寄りを、そのライバルは「目障り」という理由で斬り殺してしまう。
後日、与三郎は殺しの濡れ衣を着せられる。
汚名を払うべく訴える相談を尊敬する父に与三郎はするが、父は反対する。
これに幻滅して与三郎は武士をやめて江戸を徘徊。
未来が見えぬ中、与三郎は情け深い女「お三津」と出会い、また、森田座に関わっていく。
菊之助の寝床を与えた久蔵についても、映画では子供が幼いときに死んだというセリフがあっただけであるが、原作小説では子供が亡くなるまでの経緯が詳細に描かれている。(これが泣ける…。)
映画化にあたって省略は仕方のないことであるし、素晴らしい娯楽作品に仕上がっていることを思えば、この改変は成功したと言っていいだろう。
なお、原作小説の総一郎が何故に仇討ちだけでなく、何故に森田座の人々の来し方を聞いたのかを説明しておこう。
それは菊之助が総一郎に仇討ちをしなかった気持ちを理解して欲しかったから。
原作小説では最終章である「終幕」で、菊之助は総一郎に仇討ちは狂言であったことを告白する。
菊之助は総一郎の妹の「お美千」と一緒になるにあたり、菊之助、総一郎、お美千が幼い頃に遊んでもらった作兵衛を実は殺してはいないことを知って欲しかったのだ。
しかし、殺してないとなると武士道に反することになる。
そこで菊之助は総一郎に森田座の人々を調べさせ、より深く仇討ちを諦めた経緯を知ってもらいたかったのだった。
③ 黒子による小道具の「生首」の取り違い
映画で新米の黒子が狂言仇討ちで使うための偽の生首を間違えて舞台に持っていってしまうシーンがある。
これを取り戻すために渡辺謙が演じる金治は役者になりすまして舞台に上がり、生首を取り戻す。
その生首を久蔵に渡し、その途中で落としてしまい、鼻が取れてしまう。
このようなシーンは原作小説にはなく、これは映画を盛り上げるためのオリジナルシナリオとなっている。
以上の3つが私が思い出せる範囲での映画と原作小説との違い。
原作小説は映画とは違った面白さがあるので、是非、映画を面白いと思った方は原作小説を読むことをお勧めする。