映画「俺ではない炎上」ネタバレ|真犯人改変は原作ファン激怒レベル!?
映画「俺ではない炎上」を公開初日に鑑賞。
本作は阿部寛が演じるエリートサラリーマンである「山縣泰介」がSNSにより殺人犯の濡れ衣を着せられて逃亡する物語。
浅倉秋成が書いた同名の小説を原作としている。
今回も私は事前に原作小説を読んでから映画を鑑賞。
大筋は原作どおり。
原作小説も映画も「傑作」という域には達していないが、松竹というメジャー会社が大衆向けに作った普通に面白い作品。
原作小説を読んでいて、これは映画化に向いているなぁ、と思わせるストーリーだった。
先週鑑賞した直木賞小説を原作とした「宝島」よりも何百倍も面白い。
やはり直木賞などという権威に頼らず、映画化に向いている小説を厳選した方が絶対にいいということだ。
ただ、本作を鑑賞して一番驚いたのは、犯人を変えてきたところ。
その最大の改変を含めて、私が思いつく原作小説との主な違いを3つほど挙げてみた。
(以下、ネタバレ)
① セザキ ハルヤ
映画では犯人が「セザキ ハルヤ」という偽名を使い、大学生の住吉初羽馬(すみよし しょうま)に殺人現場の写真をSNSに投降した記事についてDMを送り、そこから記事の拡散が始まっている。
原作小説では初羽馬の友達のリツイート(今でいうリポスト)を初羽馬が見るところから拡散が始まる。
また、映画では「セザキ ハルヤ」という名前の由来が描かれていないが、これは漫画「翡翠の雷霆(ひすいのらいてい)」の主人公の名前。
小学生時代の山縣夏美と「えばたん」こと江波戸琢哉が、犯人捜しをするためにスターポートという展望台に行き、そこで出会った大学生から「翡翠の雷霆(ひすいのらいてい)」のピンバッジをもらう。
漫画の主人公であるセザキの決め台詞は「俺は俺の信念を貫く」で、正義を信じて、ひたすらまっすぐに進むキャラクター。
ピンバッジをもらった「えばたん」は、以降、過剰に正義を貫くような人間になっていく。
② SNSの投稿
映画版では過去のSNS投稿は山縣夏実が小学生の頃に自宅のPCから行っていた。
原作ではアンドロイド搭載型でSIMが入れられないウォークマンを自宅のWiFiに繋いで夏実が投稿していた。
また、映画では夏実がPCから投稿していたことを、泰介の妻であり、夏実の母である芙由子は知っていたが、原作小説の芙由子は知らない。
③ 真犯人
原作小説でも映画でも、犯人は「えばたん」こと江波戸琢哉。
しかし、映画版での江波戸琢哉は、両親が離婚して青江と名前が変わり、コンテナハウスを売る会社の社員になっていた。
原作での青江は犯人ではなく、山縣が犯人ではないことを見抜き、逃亡を助けた人物として描かれる。
映画ではラストに青江の運転で山縣泰介を乗せて、「からになくさ」の場所に向かうが、原作小説ではコンテナハウスを訪ねた警察に青江が対応し、その間に山縣泰介は一人で青江の会社の車に乗って走り出す。
原作小説でも映画でも、物語の前半で山縣泰介が青江に対し、仕事のミスを強めに指摘し、「近頃の若者は…」的な発言をする。
しかし、原作小説では、その若者に助けられ、山縣は感動し、本作のキーワードである「自分は悪くない・自分が悪かった」というところにつながっていく。
そういう意味では原作の青江の設定の方が、いいように思える。
ただ、映画的には冒頭に出ていた青江が犯人であった方が、劇的に見えるので、この改変が悪かったとは一概に言えない。
なお、何故、原作小説の青江は山縣を犯人と思わなかったのか。
それは、犯人が投稿した文章に「食べれない」(「ら抜き言葉」)、「全然臭い」(全然を肯定文で使用)、「文字どうり」(正しくは「どおり」)という誤用があり、山縣が日本語にこだわりをもっていたことを青江が知っていたから、青江は山縣が犯人とは思えなかった。
映画では、この日本語の誤用を山縣の妻である芙由子が指摘するが、原作では青江が指摘する。
この他にも細かい違いは多数あるので、是非、小説版の方も読んでいただきたい。
ちなみに原作者の浅倉秋成は1989年生まれの35歳と若い。
しかも、昨年は浅倉が書いた「六人の嘘つきな大学生」が映画化されている。
私は「六人の嘘つきな大学生」も、原作小説を読んだ後に映画を鑑賞したが、正直、原作小説の方が面白かったので、時間があれば、「六人の嘘つきな大学生」も読んでいただきたい。