ネタバレあり!「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」:若松孝二と若者たちの熱き青春!名古屋のミニシアター「シネマスコーレ」誕生秘話も!

公開中の映画「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」を鑑賞。
東京では3月15日から公開されていたのだが、私の住む鹿児島では4月26日から、ようやく上映開始。

本作は2018年に公開の「止められるか、俺たちを」のパート2なのだが、特に前作とは別の物語となっており、前作を観なくても全く問題なく鑑賞できる。

ただ、私は事前にアマゾンプライムでパート1である「止められるか、俺たちを」を鑑賞。

パート1・2ともに2012年に交通事故で亡くなられた映画監督の若松孝二さんの若き日が描かれる。

若松監督は1965年に若松プロダクションを設立し、暴力や、性描写を前面に押し出した反体制的な映画を量産していく。

パート1は1969年に若松プロへ助監督として入社した吉積めぐみ(門脇麦)の視点で物語が進んでいく。

パート1・2のネタバレあらすじは次のとおり。

<ネタバレあらすじ>

若松監督(井浦新)は社会への怒りを映画にぶつけていたが、めぐみはノンポリで、何を描きたいか分からず、苦しみつつも映画製作を止められずにいた。

めぐみ以外の多くの若者も苦しみ、絶望しながらも映画製作をしていく。

パート1の舞台は1970年代前半だったが、パート2は1980年代の若松プロの物語。
若松監督は名古屋に自身がオーナーの小さな映画館「シネマスコーレ」(ラテン語で「映画の学校」)を建設。

若松監督はビデオカメラのセールスマンをやっていた木全(きまた 東出昌大)にシネマスコーレの支配人を依頼する。

映画を愛する木全は奥さんの了解を得て支配人の仕事を承諾する。

そこに映画研究会に所属する大学生の男女がアルバイトとして働き始める。
女の方は金本法子(芋生悠)。

金本は映画を愛していたが、撮りたいものが分からず、映画研究会では1本も作品を作れずに苛立っていた。
そして金本は在日韓国人でもあった。

「シネマスコーレ」が上映を開始すると、予備校「河合塾」に通う井上淳一(杉田雷麟)が度々鑑賞に訪れる。

井上は若松監督の大ファンであり、いずれは若松プロで働くことを夢見ていた。

ある日、井上がシネマスコーレで映画を鑑賞していると、若松監督が現れる。
井上は思い切って若松監督に弟子入りを申し込む。

その日は若松監督、井上、木全、金本の4人で焼肉を食べる。
そこで監督は大学生になってからでも遅くないと井上を諭す。

その後、新幹線のホームまで若松監督を見送っていると、扉が閉まる直前に井上は新幹線に飛び乗ってしまう。

それほどまでに若松プロに入りたかったが、結局は大学に行ってからということとなる。

次の年、早稲田大学に合格した井上は、大学に通いながら若松プロの助監督として働き始める。

撮影現場で井上は若松監督から怒鳴られまくり、落ち込んだ井上は名古屋に一時帰宅。

心配した若松監督は井上を呼び出し、また例の4人で焼肉。
落ち込んでいる井上だったが、金本は助監督として撮影に関わっている井上に嫉妬していた。

再び東京で助監督として働いていると、井上の予備校時代の先生が若松監督のファンで一緒に食事をすることとなる。

その席で先生が所属する予備校「河合塾」のアピール用の短編映画を製作する話になる。
しかも井上が監督を行うことが決まった。

苦闘しながらも井上はシナリオを書き上げ、撮影開始。
しかし、何故か撮影現場には若松監督が現れ、次第に若松監督が現場を仕切りだす。

また、木全は金本を連れて撮影現場に訪れ、木全と金本は井上のみじめな姿を見るとともに、映画製作の難しさを知る。

無事撮影が終わり、監督として舞台挨拶をする井上。

しかし、実際の監督は若松監督であり、井上は素直に喜べずにいた。

そんな中、シネマスコーレの屋上で井上は金本と二人きりとなり、金本は自分が在日であることを告白し、二人は精神的に和解する。

時代は若松監督が亡くなった2012年に移り、シネマスコーレに集まった若松監督ファンに対し、若松プロの関係者と思われるスタッフが感謝の言葉を述べ、その後ろには木全が立っており、また、木全の背後に生前の若松監督が現れたところで映画は終わる。

<ネタバレここまで>

パート1・2とも、若松監督というよりは、若松監督の下に集まった多くの若者の群像劇。

今の若者にはない、ギラギラして、泥臭い、当時の若者の感じが映画から伝わってくる。

苦しくて、楽しい。
だから止められない。

正に映画に青春をジャックされた人々の物語であり、「止められるか、俺たちを」というタイトルがピッタリだった。

パート1の監督は若松孝二を師匠とあがめる白石和彌さん。
脚本は若松プロ出身で「社会派」の監督・脚本家として知られる井上淳一さん。

パート2は井上淳一さんが監督となり、パート1に続き脚本も井上さんが担当。
実はパート2に出てくる井上は、このパート1で脚本を務めた井上淳一さんなのだ。

つまり、井上さんは自分の若いころの実体験をパート2で映画化したのだ。
実体験に基づいているからなのか、非常に脚本が上手くできていて、ぶっ飛んだ話なのに、リアリティがある。

パート2では、ラストに木全さん本人が出演されたり、エンドロールで、当時作られた河合塾用の短編映画が観れるところも面白い。

パート1・2ともに撮りたいものが分からない若者たちが多くでてくるが、恐らく現代日本の若者も同じ。

同じどころか、ますます人生、生と死、性への疑問や、社会に対する怒りが希薄になっていると感じる。

このことが映画離れにつながっているのかもしれない。

パート1で大島渚監督が、映画という表現は問題意識を持って「いない」人々の価値観を揺さぶっていかなければならないという主旨のセリフを言うシーンがある。

大島渚の思想と私の思想は全く相いれないと思うが、それでも映画が大衆の心を揺さぶるだけの力を秘めていることは間違いないだろう。

映画内で若松監督は心の中の怒りを映画化し、観客に刃を突きつけたいとおっしゃっていた。

このセリフを聞いて、若松監督はロックンローラーなんだと思った。
映画「スクールオブロック」で、ジャック・ブラック演じるデューイ先生は生徒たちに「ロックとは大物への反抗だ!」と言った。

是非、今の若者にもロックな映画を作ってもらいたいと、本作を観て思った次第である。

今週から公開の映画の目玉は「ゴジラ×コング 新たなる帝国」なのだろうが、是非、映画ファンは「青春ジャック 止められるか、俺たちを」を観て、心を燃やして欲しい。

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