映画「異人たち」ネタバレあり!過去とトラウマに直面する男の物語:大林版との違いも解説
公開中の映画「異人たち」を鑑賞。
製作国はイギリスであるが、原作は山田太一さんの「異人たちとの夏」が原作。
「異人たちとの夏」は、1988年に公開された大林宣彦監督版が有名。
大林監督版の主演は風間杜夫。
今回鑑賞した「異人たち」は、アンドリュー・ヘイというイギリス人が監督。
私は原作を読んではいないが、大林監督版は鑑賞済み。
大林監督版とヘイ監督版ともに、ほぼ同じストーリーであるが、ヘイ監督版はゲイのラブロマンスを入れ込んでいる。
ちなみにヘイ監督も、主演のアンドリュー・スコットもゲイであることを公言している。
なお、本作では、かなり濃厚な男同士のセックスシーンがあるため、R15指定となっているので注意。
「異人たち」のネタバレあらすじは次のとおり。
<ネタバレあらすじ>
脚本家のアダム(アンドリュー・スコット)は、ロンドンのマンションの自室で仕事をしていた。
そのマンションには何故かアダムの他にハリーしか住んでいなかった。
アダムとハリーは面識はなかったが、突然ハリーがアダムの部屋を訪ねる。
ハリーは単に寂しさまぎれに酒をもってアダムの部屋を訪ねただけだという。
しかし、ハリーはゲイであり、ハリーはアダムがゲイであることを分かっていた。
ハリーはアダムの部屋に入りたいというが、アダムは断る。
ある日、仕事がはかどらないアダムは、幼少期に住んでいた家を訪ねる。
両親がアダムを迎え入れる。
しかし、アダムの両親はアダムが12歳のときに交通事故で亡くなっていた。
アダムは驚きつつも、両親に会えたうれしさで喜びにひたる。
アダムがマンションに戻るとエレベーターでハリーと出会い、今度はアダムが一緒に飲もうと誘う。
そこから二人は恋に落ちて肉体関係を持つようになる。
その後もアダムは旧家に行って両親と対話を重ね、自分がゲイであることを告白する。
アダムの両親が生きていたころはエイズが蔓延していたこともあり、息子がゲイであることに母親は落胆する。
アダムは生まれてからすぐに自分がゲイである自覚があったが、両親に告げられずに両親が死んでしまい、そのことが「しこり」として心の奥底に残っていたのだった。
その「しこり」を取り除くためなのか、癒されたいためなのか、アダムは何度も両親に会いに行く。
しかし、それは単なる甘えであり、アダムの精神的自立の妨げとなっていると分かった両親は会うことを止めようという。
その提案をアダムは拒んだが、遂に両親と離れる決心をし、3人で最後の食事をする。
マンションに戻ったアダムは、初めてハリーの部屋を訪ねる。
チャイムを鳴らしてもハリーが出てこないので、部屋に入るとハリーは死んでいた。
しかも、死んでからかなりの日数が経過していたのか腐臭がしていた。
ハリーがアダムの部屋を最初に訪ねた日にハリーは死んだのだった。
ハリーが死んでいた部屋からアダムが出ると、そこにハリーのゴーストがいた。
ハリーは自分がゲイとして生まれ育った人生は寂しいというより恐ろしいものであったと告白し、泣き崩れる。
アダムはハリーをベッドに寝かせて、後ろから抱きしめるところで映画は終わる。
<ネタバレここまで>
少年期に突然両親を失い、しかも自分がゲイであることを永遠に告げられなかったというトラウマを自身の力で解消していく物語だった。
アダムの両親は仲が良く深く愛し合っている夫婦として描かれているため、両親を失うアクシデントはアダムにとって非常に大きな心の傷となったのだろう。
私の場合は家族四人が全くバラバラで愛のない空間の中で育ったので、全く両親・兄弟に会いたいなどと思わないが、そのことが自分の精神のゆがみに多大な影響を与えていると思うことはある。
しかし、実際は私もアダムも、過去のトラウマを言い訳につかっているに過ぎない。
トラウマをトラウマにしているのは自分自身。
それをアダムも分かっているからこそ、せっかく再会した両親と別れていく。
アダムほどではないにしろ、誰しもが過去に起こった出来事による「しこり」のようなものをかかえている。
そのしこりは誰も癒せず、癒せるのは自分だけ。
このことを本作を鑑賞して改めて認識した。
<大林宣彦監督版との違い>
最後に大林監督版との主な違いを3つ挙げておきたい。
①主人公等の性自認
「異人たち」のアダムはゲイであったが、大林監督版の主人公「原田(風間杜夫)」はノンケ。
そのため、大林版でのハリーの立場の役は名取裕子が演じるケイという女性。
②主人公の住居
アダムはタワーマンションに住んでいたが、大林監督版の原田はオフィスビルに住んでいた。
なお、原田はオフィスビルに住んでいた女性「ケイ」と恋に落ちるも、ケイもハリーと同じく原田の部屋を訪ねて部屋に入ることを拒まれた日に自殺して死んでいる。
③主人公の肉体的変化
大林版の原田はゴーストたちと関わるたびに頬がこけ、やつれていき、最終的には特殊メイクを使って老人になっていたが、アダムは精神的に追い詰められるだけで、大きなルックスの変化はない。
冒頭書いたとおり、本作「異人たち」では、ゲイのラブロマンスを入れ込んだわけだが、そのことにより過去の両親に会うことの意味が増していると感じられたので、非常にいい改変だったのではないかと思う。
もちろん大林監督版も中々面白いので、「異人たち」を鑑賞する場合は、鑑賞前でも後でもいいので、是非、大林バージョンも観ることをお勧めする。