映画『カラーパープル』ネタバレと感想:黒人女性の波乱に満ちた半生を描くミュージカル映画!
公開中の映画「カラーパープル」を鑑賞。
黒人姉妹の波乱に満ちた半生が描かれる。
本作はアリス・ウォーカーというアフリカ系アメリカ人の女性作家が1982年に発表した同名小説を原作としている。
小説はピューリッツァー賞を受賞。
既に1985年にスティーヴン・スピルバーグ監督により映画化されている。
更に2005年にはブロードウェイでミュージカル化され、今回鑑賞した映画版は、このミュージカル版を基にリメイクされている。
以下、ネタバレ。
舞台は1900年代初頭のアメリカ南部。
奴隷制度は撤廃されていたものの黒人差別は強く、黒人「女性」は男性社会の中で更に厳しい環境の中を生きていた。
そんな時代の中、10代の姉妹であるセリーとネティは母親を亡くし、父親からの虐待に怯えながら生きていた。
特にセリーは父親からレイプされたうえ、二人の子供を出産するも、赤ん坊は産まれてすぐに売られてしまう。
ある日、子持ちの独身男性「ミスター」がネティを妻に欲しいとネティの父親の願い出る。
この申し出に父親はネティではなく、セリーを差し出す。
セリーはミスターの家で暮らし始めるも、人間扱いされず、女中以下の存在であった。
ある日、ネティはセリーに会うべくミスターの家に駆け込む。
聞くと父親からレイプされそうになったという。
ミスターは絶対服従を条件にネティを家に受け入れる。
しかし、ある晩、ミスターはネティの体目当てに襲う。
抵抗したネティは家を追い出され、以来、ネティの行方は分からなくなってしまう。
そのころ、ミスターの息子であるハーポはソフィアという女性と結婚する。
ソフィアは超がつくほど勝気な女性で、男尊女卑な社会と徹底的に戦ってきたという。
ハーポは言うことを聞かないソフィアに手を焼き、どうしたらいいのかセリーに聞く。
するとセリーは、何気に「ぶてばいいんじゃない。」と言ってしまう。
それを聞いたソフィアは激怒し、セリーに詰め寄るとともに、逆にハーポをぶっ飛ばして家を出て行ってしまう。
あるとき、セリーが住む街の出身で、有名なR&B歌手の「シュグ」が帰ってくる。
シュグもソフィアと同じく、男性社会をものともしない強い女であった。
ミスターがシュグのファンだったことを切っ掛けに、セリーとシュグは出会い、バイセクシャルであるシュグはセリーとキスをするほどの仲になっていく。
ソフィアと出会い、また、シュグから人生で初めての愛を感じ、セリーは徐々に何かが変わり始めていた。
ある日、ソフィアは金持ちの男とともに街にもどってきた。
ソフィアが子供たちとともに外で買い物をしていると、白人の市長の妻からメイドにならないかと声をかけられる。
その偉そうなもの言いにソフィアは強い口調で断る。
すると市長が出てきて、ソフィアをなぐりつける。
反撃するソフィアであったが、周囲の白人たちに取り押さえられ、監獄に入れられてしまう。
ソフィアが監獄に入れられている間、セリーは毎週欠かさず面会に行ったのだった。
ソフィアが監獄から出てくるころ、セリーはミスターが妹ネティからの多くの手紙を隠していたことを知る。
激怒したセリーは、遂にミスターに別れを告げ、シュグとともに街を出ていく。
別れ際、セリーはミスターに「私をさげすんでいるうちは、あなたは幸せになれない!」と訴えるのだった。
別の街で暮らしていたセリーに父親の訃報の連絡が入る。
葬儀に参列したセリーは、参列者から父親は義父であったことを知り、また、死んだ母親からの実家の権利を受け取る。
セリーは母親から学んだ裁縫の技術を使い、実家でパンツを作って売る商売を始め成功していく。
一方、捨てられたミスターは事業が上手くいかず、酒浸りの日々を送っていた。
どん底の中、ミスターはセリーの別れ際の言葉を思い出し、改心したかのようにアフリカに行ってアメリカに戻れなくなっていたネティの市民権獲得に動き出す。
その後、事業が成功したセリーはパーティを開くべく、知人に招待状を送る。
その招待状の送り先にはミスターも入っていた。
パーティ中、見知らぬ車が現れ、そこから妹ネティが降り、数十年ぶりにセリーとネティが再会するところで映画は終わる。
<ネタバレ終わり>
本作はミュージカル映画で、体感として映画の半分がミュージカルシーンだったのではないかと思えるくらい、ミュージカルシーンが多い。
黒人の方の力強い声とダンスは圧巻。
ミュージカル映画といえばインド映画だが、「RRR」に負けないくらい本作のミュージカルシーンは胸に迫る。
個人的に一番よかった歌は「Hell no」。
これは本作のキーワードの一つでもある。
「Hell no」は、「まっぴらごめん!」というような意味があり、挑発的な否定の言葉らしい。
この歌を聞いて思い出した映画が「スクール・オブ・ロック」。
「スクール・オブ・ロック」は、ロックを心から愛する男「デューイ」が、名門小学校にもぐりこんで生徒たちをバンドのメンバーにしてしまうという傑作コメディ映画。
「スクール・オブ・ロック」は私の大好きな映画の一つなのだが、映画の中でデューイがロックとは「大物への反抗」だと言うシーンがある。
そのセリフに続き、デューイは生徒に大物(先生や、親、いじめっ子など)に嫌なことをされたら何と答えるのだと質問する。
すると生徒の一人が「Step off(消えろ!下がれ!)」と答える。
するとデューイは「Step off!Step off!」と叫び、歌にしていく。
今回「Hell no!」を聞いて、「Step off!」のシーンを思い出し、あっ、ブルースってロックなんだと思ってしまった。
イコールではないだろうが、実際、1900年代の中盤で出てくるロックンロールはR&B(リズム・アンド・ブルース)の影響を受けているという。
ブルースもロックも魂の叫びという点では共通。
どちらも時代が生んだ音楽。
当時の黒人の人々もブルースを歌わざるを得なかったのだろう。
音楽の持つ巨大な力を改めて感じた。
ちなみに本作で「Hell no」という言葉を白人市長夫妻に放ったソフィアを演じたダニエル・ブルックスさんは、今年の米アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされている。
是非、受賞してもらいたい。
話を映画に戻すと、個人女性の戦いだけに留まっていないところが素晴らしい。
セリーも、ソフィアも元夫を赦し、受け入れていく。
本作の中で描かれる「赦し」はキリスト教の考えからきている。
古代ギリシアの愛にはエロース(性愛)、フィリアー(友情)、アガペー(愛敵)と段階があり、アガペーはキリスト教では「神の愛」とされる。
究極の愛は敵をも愛する精神なのである。
映画の最後にセリーはアガペーの境地に達し、敵味方関係なくパーティに呼んで円になり、正に大団円のラストになる。
私は自分を虐待してきた人まで愛する自信はないため、ラストシーンに若干の違和感を覚えたが、目からは涙が止まらない。
本作はメッセージ性が強いが、エンターテイメント性も高く、2時間20分の長い上映時間があっという間。
是非、皆さんにも劇場で鑑賞いただき、セリーと同じく「Hell no!」と言える勇気をもらって欲しい。