ネタバレあり!映画「DOGMAN ドッグマン」レビュー:衝撃のラストと3つの解釈
映画「DOGMAN ドッグマン」を公開初日に鑑賞。
監督は「レオン」のリュック・ベッソン。
フランス映画。
ジャンルとしてはバイオレンスアクション映画。
犬からの愛に支えられて生きてきた壮絶な男の半生を描いた物語。
評価は4.0点。(5点満点)
優秀作。
奇妙な犬を愛する男の世界へ完全に引きずり込まれた。
以下、ネタバレあらすじ。
<ネタバレ>
トラックを運転する女装した男性「ダグラス(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)」を逮捕するシーンから映画は始まる。
トラックの中には多くの犬がいた。
女装していたためか、精神科医の「エヴリン」がダグラスのいる拘留所に呼ばれる。
エヴリンはダグラスから家族関係など、これまでの人生を聞き出す。
エヴリンの父は闘犬を生業にしていた。
そのため自宅には多くの犬がいる小屋があったが、父は犬を愛すことなく商売道具としか考えていなかった。
また、父はたびたび暴力をふるうDV男であった。
父とは違い少年のダグラスは犬を愛し、父から禁じられていたエサやりをしてしまい、それを兄に見られてしまう。
兄は父に密告。
激怒した父はダグラスを犬小屋の中に閉じ込めてしまう。
その父の異常性に嫌気がさした母は家を出て行ってしまう。
ダグラスが閉じ込められて数か月(数年?)後、ある日、犬小屋で子犬が数匹生まれる。
それを知った父と兄は子犬を殺そうとする。
必死で止めようとするダグラスに向けて、犬小屋の外から父は散弾銃を撃つ。
ダグラスの小指は吹っ飛び、また、弾のいくつかが腰に当たり、以来ダグラスは下半身が動かなくなってしまう。
父と兄が犬小屋の前を去った後、ダグラスは自分の小指を袋に入れ、犬に咥えさせる。
その犬は散弾銃によりできた穴から犬小屋を飛び出し、警察車両の前に指を持っていく。
それを切っ掛けに警察はダグラスの家に突入し、父と兄を逮捕。
その後ダグラスは施設で生活することとなる。
足が不自由で読書を愛するダグラスは、施設内に友達はいなかったが、演劇の先生「サルマ」に恋をする。
サルマに化粧を教わり、サルマとともに様々なシェイクスピアの役を演じるダグラス。
しかし、サルマは施設を去って劇団に入り大女優になっていく。
ダグラスは施設を出た後、犬の保護をする仕事に従事していた。
そこで女優サルマの掲載記事を切り抜き、取りためていた。
あるとき、ダグラスは思い切ってサルマの演劇を観に行き、サルマの楽屋を訪ねる。
そのころ、既に大人になっていたダグラスだったが、サルマは直ぐにダグラスだと分かり、再会に感激する。
ダグラスはサルマの掲載記事を貼り付けた分厚いノートを渡し、サルマは大喜びするも、そこにサルマの夫が現れる。
職場に戻ったダグラスは失恋の痛手に苦しみ、泣き叫ぶも、犬たちが集まり、ダグラスを慰めるのだった。
その頃、ダグラスの職場に役所の人間が現れ、施設を潰すという通知を受ける。
ダグラスは承諾するも、密かに犬を引き連れ、廃屋に移って生活を始める。
職を失ったダグラスは犬を養うために必死で仕事を探し始める。
しかし、下半身が不自由で車いすのダグラスを雇うところはなかった。
そんな中、ダグラスはキャバレーを訪ね、歌えるとアピールする。
断るスタッフだったが、そのキャバレーに所属するドラァグクイーン(女装した男性のパーフォーマー)たちが、チャンスをあげてくれと頼む。
舞台に立ったダグラスは素晴らしい歌声を披露し、週に一度だけキャバレーで歌うこととなった。
ダグラスにとっても女装して舞台に立つことは、施設の頃の演劇と同じく、過酷な人生を忘れさせてくれるかけがえのないものとなった。
それでも犬を養うだけの金がないため、ダグラスは犬を使って富豪の家から金品を盗み始める。
ダグラスにとって、富豪からの金品略奪は富の再分配だと考えていた。
盗まれた宝石に保険をかけていた富豪たちは保険会社の職員を呼び出す。
保険会社の職員は防犯カメラからダグラスが犬を使って盗んでいることを突き止める。
保険会社の職員は盗まれた宝石を取り戻すため、ダグラスが住む廃屋を訪ねる。
しかし、ダグラスの犬たちの攻撃により、保険会社の職員は嚙み殺されてしまう。
ある日、街のギャングたちがダグラスの廃屋を急襲。
以前、ダグラスはある青年から、みかじめ料を取らないようギャングに言って欲しいと頼まれ、犬たちを使ってギャングのボスを襲ったことがあった。
その恨みを晴らすためにギャングたちはダグラスを殺しに来たのだが、ダグラスは犬と隠していた銃を使ってギャングたちを皆殺しにする。
その後、ダグラスは犬たちをトラックに載せ、逃走しているところを警察に捕まったのだった。
これまでの全てのことをダグラスは精神科医のエヴリンに伝えた。
エヴリンが拘留所を離れる間際、エブリンはダグラスに何故正直に話をしてくれたのかを訪ねると、同じ苦しみを背負っていることを感じたからとダグラスは返す。
エブリンも暴力的な父と夫に悩まされた人生を歩んでいた。
エヴリンが出ていった次の朝、犬たちが拘留所中にもぐりこみ、看守を襲って気絶させ、鍵を奪ってダグラスのいる部屋に行き、扉の隙間から鍵をダグラスに渡す。
拘留所を脱出したダグラスは、車いすから立ち上がり、一歩一歩ゆっくりと歩き出し、教会の前で笑いながら絶叫して倒れ込む。
気が付くと街に散らばっていた多くの犬たちがダグラスを囲み、映画は終わる。
<ネタバレここまで>
いくら犬が賢い動物とはいえ、ダグラスの言葉を理解し、ダグラスの言う通りに動くシーンは若干容認できないが、そのファンタジーを打ち消すだけの映像だった。
特にダグラスを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの怪演は圧巻。
1秒たりとも目が離せないほどの緊張感のある芝居に終始釘付け。
2時間があっという間。
監督のリュック・ベッソンの代表作といえば「レオン」であるが、私は今回観た本作の方が好きになったし、私と同じように感じた方は多いと思う。
本作のラストでダグラスが教会の前で絶叫して倒れ込むシーンの解釈は難しいが、そこを鑑賞後にそれぞれ考えて語り合える映画となっている。
一先ず、次のとおり3つの解釈を考えてみた。
①神との決別
何も悪いことをしていないにも関わらず、過酷な人生を歩まされたダグラス。
これからは神の恩恵(愛)は期待しない!として神との決別を宣言したという解釈。
少年のダグラスが犬小屋に閉じ込められた際、兄が「In the name of God.(神の御名において。)」(正確ではないかも)と書いた布を犬小屋の網に張り付ける。
その布を犬小屋側から見ると、文字が反転し、更に犬小屋の柱が一部を隠し、「dogman」と読めるシーンがある。
つまり本作では「Dog」と「Gog」が表裏の関係で描かれている。
Godと違い、Dogは十分な愛をダグラスに与えてくれる。
そういう意味で、ダグラスの教会の前での絶叫は、「Dog」を「God」として生きていくという意味が含まれていたのかもしれない。
②過去との決別
精神科医エブリンもダグラスと同じく、暴力をふるう父と夫に悩まされ、学生時代は貧しい生活をしていたという。
それでもエブリンはダグラスのように狂気の世界には落ちず、なんとか精神科医になり、赤ん坊を育てている。
そんなエブリンとダグラスは出会い、ダグラスは過去のトラウマを取り払う決意を教会の前で宣言したと解釈できるかもしれない。
③神の意志の代理
劇中、ダブリンがダグラスに向かって「世界は確かに悪がはびこっているが、神は人間に自由意志も与えた」と言うシーンがある。
これは世の不正を正すのは、神ではなく人間の自由な意志からの決断によって実現されなければならないという意味に取れる。
つまり神が自動的に不正を正してしまえば、人間は正しいことをするしかなくなり、それは神が人間から自由意志を奪っていることに他ならない。
それを知ったダグラスは、世界の不正と不条理を神の力に頼ることなく、自分の力で正していく!という決意を教会の前でしたという解釈もできる。
あのラストに、どのような意味が込められているのか、是非、皆さんも劇場で観て考えて欲しい。
最後の解釈、それこそ私たち見る人間の自由意志なのですよね。喜劇にするも、悲劇にするも。何とも深いですよね。
歩くことは彼にとって死への歩みを進める…。最後にいつでも行ける、準備はできていると彼の自由意思で死に向かって歩み出した…。
キリスト教では死とは、命の終わりではなく、神から全ての罪を許され永遠の安息を与えられる事だそうです。
お迎えに神は犬達をよこした。彼は許された。
と、思ったのですが…
神の元へ行くには大きな対価が必要と話していたところを考えると、神の元にはいけなかった?いや、そもそも彼は許される必要があったでしょうか?そもそも彼の罪は?
最後のエヴリンの前に現れた犬は、門番でした。彼の方へ向かってくるモノを見つめます。だから、その犬の先には彼がいる、彼が待っている。犬はエヴリンの方を真っ直ぐ見つめていました。
…考えれば考えるほどハマります。
私もこの映画すごく好きです。
彼のアンバランス感もすごく刺さりました。不幸で暴力的な人生を歩みながらも、切ないくらいに純粋でした。
人は愛され守られたい…そうですね。
言葉一つ一つがとても丁寧で、深い。