映画「変な家」:あなたは許せる? 原作と映画の驚きの改変を徹底解説!ネタバレレビュー

公開初日に映画「変な家」を鑑賞。
松竹系シネコンの大型スクリーンでレイトショーで観たのだが、ほぼ満席。

youtuber小説家の雨穴(うけつ)の同名小説が原作。
私は原作を読んでから鑑賞した。

予想どおりかなり改変されていた。
しかも、原作小説は「ミステリー」なのに対し、映画版は「サイコスリラー」になっていた。

驚かし系のホラーに近くて、観客をビクッ!とさせるシーンがいくつかある。

主演は間宮祥太朗。
監督は石川淳一。

以下、ネタバレあらすじ。

<ネタバレ>

オカルト専門の動画配信者である雨宮(間宮祥太朗)は、最近、動画の人気が下がっていた。

そんなとき、雨宮のマネージャーである柳岡が家を買うという。
しかし、間取りがおかしいと柳岡の妻が反対した。

確かに間取り図を見ると、一階に謎の小さな空間があった。
そこで雨宮は知り合いのミステリー小説マニアで設計士の栗原に相談する。

間取り図を見た栗原は、謎の空間は意図的に作られたものであり、また、2階の中心にある子供部屋は窓もなく、二重扉になっていることから、子供を監禁していたのではないかという。

後日、雨宮は謎の空間が二階の子供部屋と浴室の真下にあり、子供部屋と浴室をつなぐ空間だったのではないかと考えた。

そのことを栗原に告げると、栗原は監禁していた子供を使って殺したい相手を浴室におびき寄せて殺す依頼殺人を行っていたのではないかという。

そこに家を買おうとしていた柳岡から、買おうとしていた家の付近で謎の遺体が発見されたので買うのを止めたという連絡が入る。

遺体は「宮江恭一」さんという男性だった。
ニュースでは宮江恭一さんの遺体はバラバラに解体されていたが、左手首だけないという。

この間取り図のことを雨宮は動画にして配信すると大人気となる。

その動画を見た宮江恭一の妻と名乗る柚希(ゆずき 川栄李奈)が雨宮にメッセージを送る。

柚希によると宮江恭一は、この謎の間取りの家で殺されたのではないかという。

柚希と雨宮は実際に売りに出されている謎の家に行き、中に入り込む。

すると想像していたとおり、謎の空間は子供部屋と浴室を繋ぐ通路であった。

そこに栗原から電話がかかる。
栗原が調べたところによると、死んだ宮江恭一に結婚歴はないという。

襲われると思った雨宮は家を飛び出す。
飛び出した先にいた付近住民が不審な雨宮に声をかける。

住民によると、家に住んでいた片淵(かたぶち)という夫婦が住んでいたという。
その夫婦には子供が一人のはずなのに、ある夜、不審な少年がいたので、その住民はスマホで撮影したという。

雨宮は住民から写真をもらい、自宅のPCで解析する。
少年の写真をアップにして解析すると、その少年は不気味な仮面をつけていた。

そこに柚希が現れ、雨宮にウソをついたことを謝罪する。

柚希は宮江恭一の妻ではなく、謎の家に住んでいた片淵綾乃(あやの)の妹であった。

そして、柚希の二つ上の綾乃は、二人が学生時代に家からいなくなってしまう。
また、柚希の父は交通事故で死んでいた。

当時、柚希は母に綾乃のことを聞くと、うちの子でなくなったとしか答えなかったという。

柚希が帰った後、雨宮が動画の編集をしていると、突然、停電になり、気が付くと恐ろしい仮面をかぶった女に襲われ、幻覚剤のようなものを打ち込まれる。

雨宮は気が付くと栗原がおり、家の外に出るとマネージャーの柳岡も襲われていた。
謎の家にかかわるなというメッセージであった。

マネージャーの柳岡は恐ろしくなって、この件から手を引くが、雨宮は調査を続行する。

柚希も愛する姉に会いたいがため、姉が以前に住んでいた家の間取りも入手する。
するとその家も奇妙な間取りで、子供が監禁されているようなものであった。

しかも増築された痕跡があり、そこから片淵綾乃に子供ができたので部屋を増築し、その後、より子育てと謎の少年の監禁を行いやすくするために移り住んだことが分かった。

雨宮、栗原、柚希の三人は、柚希の母「喜江」の自宅を訪ね、姉の居所などを問い詰める。
喜江は父が残したノートを見せる。

ノートには父が死ぬ直前に気がおかしくなった様子が分かるものとなっていた。

実は柚希の父は交通事故ではなく自殺して死んだという。
その他、喜江は、もう片淵家のことに関わるなとだけしか言わなかった。

三人が帰ると、栗原だけもどり、強引に喜江の家の中にあがりこみ、ふすまを開ける。
するとそこには雨宮を襲った人間がかぶっていた仮面があった。
喜江は何かを知っているのだった。

雨宮たちは綾乃夫婦がかつて住んでいた祖父母の家を訪ねる。
かつて片淵家は名家だったためか、祖父母の家の周辺は片淵家にゆかりのあるものばかりが住んでいた。

祖父母の家には姉である片淵綾乃と夫の「慶太」がいた。
また、その他にも血縁者の「清次(きよつぐ)」もいた。

祖父母たちは客として雨宮たちを歓待してくれたが、薬を飲まされて眠らされてしまう。
気が付くと姉夫婦がいないため、三人は家の中を探し始める。

すると長い廊下の突き当りにあった仏壇が扉になっていて、その後ろに隠し通路があることが判明。

三人はそこから中に入ると、祭壇があり、そこには人間の左手が捧げられていた。
また、姉夫婦と姉夫婦の家で監禁されていた少年「桃弥(とうや)」くんが閉じ込められていた。

そこで雨宮たちは片淵家の遠い過去の忌まわしい話を聞く。
かつての片淵家の当主は女中の高間潮(たかまうしお)という女を愛人にする。

しかし、正妻に執拗にいじめられ、潮は気がおかしくなって自分の左手を切り落として自殺する。

その後、片淵家周辺で次々に災難が起こる。

そこに呪術師が現れ、数々の災難は潮の呪いであり、これを解くために、生まれてきた子供に光を与えることなく育て、更に、人の左手を捧げろという。

この恐ろしい儀式を今も片淵家では受け継いでいたのだった。

綾乃と夫の慶太は結婚後、祖父母のところに住んでいたが、左手供養を続けるという条件で桃弥を連れて出ていく。

移り住んだ家で、綾乃夫婦は人を殺すことなく左手を手に入れようと計画。

綾乃夫婦は心臓発作でなくなった宮江恭一さんの遺体を手に入れ、殺害したと見せかけて左手を切断していた。

しかし、そのことが祖父母たちにバレたのか、結局、綾乃夫婦は祖父母のところに連れ戻されてしまう。

真相が分かったところで、祖父母たちが現れ、雨宮たちの左手を奪うために襲いかかる。
雨宮たちは逃げ惑うも、周囲の住人も仮面をかぶって雨宮たちを追いまわす。

最後は綾乃の夫である慶太が身を挺して雨宮たちを逃がす。
祖父母の家は慶太もろとも炎上していく。

慶太のおかげで、忌まわしい因習が断たれた。
ある日、柚希が母である喜江のところに行くと、母のとなりに薬で洗脳された様子の綾乃がいた。

母は綾乃に「次の左手供養は私に任せて」などと綾乃に向かって話していた。

一方、雨宮のアパートでは壁から異音がし、異音がする壁を調べると壁の下からウジ虫が発生しており、また、壁の向こうから爪で壁をひっかく音がするのだった・・・。

<ネタバレここまで>

私は事前に原作小説を読んでから鑑賞。
後半の片淵家の過去の話は、ほぼ完全に改変され、かなり省力、簡略化していた。

原作の片淵家の過去の話は、登場人物が多数出てくるので、私は読んでいて映画化するときにキャスティングが難しいだろうと予想していたので容認できたが、原作に思い入れが強い方は受け入れられないだろう。

映画内で祖父母の家のことを「片淵本家」というセリフがいくつか出てくるのだが、「分家」の話は映画版では出てこない。

原作では「本家と分家の因縁が今も続いている」というところが、面白いポイントになっているが、そこが映画版では、ごっそり切られている。

私は仕方がないと思う。
でも原作を読んだ、ほとんどの人は怒りを覚えるかもしれない。

原作の雨穴さんが、この改変をどの程度許容しているのか聞いてみたいところではある。

私の記憶の限りで恐縮ではあるが、原作と映画版との間の主な違いは次のとおり。

①高間潮の設定
映画版の高間潮は女中から愛人になり、正妻からいじめを受けて自殺したとなっているが、原作では愛人ではなく正妻になっている。

明治から大正にかけて片淵家は隆盛を極め、当時の当主である嘉永(かえい)が、長男の宗一郎を跡取りにし、嘉永は女中の潮を宗一郎の妻にする。

しかし、宗一郎と潮には夜の営みはなく、なんと宗一郎は実の妹である千鶴との間に子供をもうけてしまう。

その後、片淵家は没落していき、その中で潮は千鶴と千鶴の子供と生きいかなければならなくなり、遂に自殺してしまう。

というのが、原作の潮の設定。

②呪術師の設定
映画では片淵家に現れた呪術師の過去は描かれていないが、原作では片淵家の縁の者が呪術師を装っているという設定になっている。

宗一郎には腹違いの「清吉(せいきち)」という優秀な弟がいた。
清吉は無能な宗一郎が跡継ぎになったことに腹を立て、家を出て片淵「分家」となる。

清吉は瞬く間に財産を築き、本家を没落に導く。
清吉は好色家で、複数の妻を持ち、それぞれに子供がいた。

清吉の第二夫人「志津子」は、自分の息子を跡取りにするため、妹の「美也子」を呪術師として宗一郎のところに潜り込ませ、「左手供養」の儀式を信じ込ませて宗一郎の子供に清吉の別の妻の子供たちを殺させようと仕向けたのだった。

③分家の話が出てこない
原作の「左手供養」は、宗一郎(本家)の血を引くものの中で左手がない子供が生まれた場合に、その子を光のないところで10歳まで育てて、清吉の血を引くものを、その子供に殺させて左手を切り落として奉納するというものであった。

原作の桃弥は左手がない状態で生まれたため、左手供養を行うこととなり、清吉の子孫を探し出して殺すこととなる。

しかし、映画版では清吉の話は全くなく、本家と分家の因縁は描かれず、単に左手であれば、誰のものでもいいという設定になっている。

この3つの違い以外にも、色々と原作との違いはあり、例えば「主人公の職業」、「綾乃が家から消える年齢」も違うし、ラストで雨宮のアパートで異音がするという描写も原作にはない。

繰り返しになるが、ミステリーを恐怖映画にしたのは仕方がないと思う。
本作は原作を読んでいない人向けに作ったのかもしれない。

原作を読まずに、しかも映画ファンでなければ、なかなか面白く感じられる作品であると思う。

本作は東宝が製作しているが、東宝のようなメジャー会社が万人向けに作ったエンタメ映画なので、温かい目で評価して欲しい。

素直に観て、「あのシーン怖かったよねぇ~」と軽い感じで語り合う映画。
小説版を読んでから映画を観るのではなく、映画を観た後に小説を読むことをお勧めする。

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