映画「四月になれば彼女は」ネタバレありレビュー!愛の素晴らしさと儚さを描く大人の恋愛映画

映画「四月になれば彼女は」を公開初日に鑑賞。
本作は映画プロデューサーでもある川村元気が書いた同名小説が原作。

主演は佐藤健、長澤まさみ、森七奈。
監督は山田 智和。
山田監督の初長編映画らしい。

私は事前に原作を読んでから映画を鑑賞。
あらすじというか、大まかな流れは原作と同じだが、枝葉の部分がかなり改変されていた。
各登場人物の背景設定も違ったし、原作には出てこない人物もいた。

大人の恋愛映画で、愛の素晴らしさとともに愛のはかなさを描く。
原作にも映画にもセリフとして出てくる「愛を終わらせない方法とは」がテーマとなっている。

<ネタバレあらすじ>

精神科医の藤代(佐藤健)は動物園で働く獣医の弥生(長澤まさみ)と同棲していた。
二人は近く結婚式を挙げるための準備を進める。

しかし、夜は別々の部屋で寝る。
セックスレスだった。

そんな藤代のアパートに大学生の頃に付き合っていた伊予田春(森七奈)から手紙が来る。
外国の旅先からであった。

その手紙を藤代と弥生は読むも、何故、春が藤代に手紙を送ってきたのかは分からなかった。

ある日、弥生は藤代と同棲していた部屋から消える。
職場の動物園に聞いても長期休暇が出ているというだけで、行先は分からなかった。

藤代は同僚の精神科医である小泉奈々(ともさかりえ)に相談する。
奈々は、かつて弥生が藤代が務める病院に通院し、藤代が弥生を救ったことを思い出させる。

弥生は藤代と付き合う直前、婚約していた。
しかし、婚約したとたんに眠れなくなり、精神科に通うことになった。

弥生によると幸せになると、その幸せがいつか消える不安に襲われるという。
いつしか藤代と弥生は医者と患者の関係を超えて付き合うようになっていった。

一方、藤代と春は大学の写真部の先輩と後輩の関係で、部活を通して付き合うようになった。
春は幼いころ、母親が家を出て行ってしまい、父子家庭で育った。

大学生の藤代と春は国外の絶景を撮りに旅に出る計画を立てる。
そこで藤代は春の自宅を訪ね、春とともに春の父(竹野内豊)に旅行の許可を申し出る。
しかし、娘を溺愛していた父は娘がそばにいないと苦しいと言われてしまう。

旅行当日、空港には旅行荷物を持たない春がいた。
藤代は飛行機に乗らず、春とともに電車に乗って帰路につく。

途中で降りる春。
泣き崩れる藤代。
二人の関係は終わってしまう。

弥生がいなくなってから数週間後、学生時代の写真部の友人から春が亡くなった知らせが届く。

友人は藤代に春が亡くなった病院に行って欲しいという。

藤代は病院に行くと、そこで働く女性医師から春の最後の様子を聞く。
春は不治の病にかかり、苦しみながらも藤代と行くはずだった場所を旅をし、また、日々、患者の笑顔を写真に収めていたという。

そしてその医師から春が使っていたフィルムカメラを藤代は受け取る。
そのカメラにはフィルムが入っていた。
藤代は急いでフィルムを現像する。

するとそこには何故か弥生が写っていた。

弥生は春の名前をネット検索し、春が入院する病院のサイトに春が撮影した写真が春の名前とともに掲載されているページを見つける。

弥生はその病院を訪ね、その病院で働いていた。
そこで弥生は春が、何故、藤代に手紙を書いたかを知る。

春は藤代をひたすらに愛していたあの頃の自分に会いたいから手紙を書いたのだった。
そして春は弥生が藤代の恋人であり、また、藤代との関係で悩んでいることに気づいていた。
弥生は泣き崩れるのだった。

春のフィルムに弥生が写っていたことを知った藤代は再び病院に向かう。
藤代は浜辺にいた弥生を見つけ、駆け寄り、抱きしめる。

また、二人の生活が始まるところで映画は終わる。

<ネタバレここまで>

映画の中で弥生は「愛を終わらせない方法は、愛を手に入れないこと」という。
確かに、私も過去に思いを伝えられずに終わった片思いの恋は今も忘れられない。
今もその人のことを愛しているのかもしれない。

それでは愛を手に入れないことが本作のメッセージなのかといえば、そういうことではない。

弥生から藤代に当てた手紙の中で、「私たちは愛することをさぼった。面倒くさがった。」と書いていた。

これは原作にも出てくるセリフで、本作の重要なポイントとなる。

確かに愛を終わらせないためには愛を手に入れないことが一番かもしれない。
それでも人は人を愛してしまう。
人は自分のためだけに生きるほど強くはない。

しかし、恋愛の情熱は必ず冷めていく。

どうすればいいのか。

それは愛することをさぼらないこと。
愛することを面倒くさがらないこと。

端的に言えば、セックスすること。
セックスって意外と面倒くさいもの。
特に付き合う期間が長くなればなるほど。

日々食事をとり、睡眠をとるように、愛する二人はセックスしなければならないのだ。
夫婦間のセックスとは権利であり義務なのだ。

愛情と性欲というものは、ぴったり重なっているものではない。
しかし、遠く離れているものでもない。

セックスまでいかなくても、キスしたり、ハグしたりしていこう。
面倒くさがらないで、さぼらずにやっていこう。

もちろんスキンシップだけなく、精神的な寄り添いも大事。

映画のラストで藤代は弥生に動物の話をする。
獣医である弥生を少しでも理解したいという現れである。
そういう意味でもラストの藤代と弥生の何気ない会話はよかった。

自分の興味を相手に押し付けるのではなく、相手の興味に興味を示していく。

いずれにしろ愛を終わらせないためには努力が必要。
これは人間と動物を隔てる大きな違いの一つなのかもしれない。

<原作との違い>
冒頭に書いたとおり、大まかな流れは原作と同じなのだが、全部は書ききれないくらい細かいところで違いは多い。

一先ず5つほど原作との違いを挙げておきたい。

①藤代と春の別れ方の違い
原作では大島という写真部のOBが出てきて、この大島が春に恋をする。
ある日、春から藤代に緊急の電話がかかり、藤代が駆けつけると昏睡した大島がホテルのベッドに横たわり、その横に春がいた。
春と大島の間で何があったかは不明だが、それ以来、二人は気まずくなって別れてしまう。
というのが原作。

大島というキャラクターは映画には出てこなかった。

ちなみに、どうやら春と大島の間に肉体関係はないようだが、春は大島からの好意を知りつつ、その思いを手放したくなかったため、藤代に対して後ろめたい気持ちがあった。

②春の父は原作には出てこない
映画では春の父(竹野内豊)の存在により、藤代と春は別れることになるが、原作では春の父は登場せず、上述したストーリーで藤代と春は別れていく。

逆に原作では藤代の父が登場する。
藤代の父も医者であったが、非常に冷たい人で、藤代が大学生の頃に離婚している。
藤代は自分も父と同じように人を愛せない人間ではないかと思っている節がある。

③弥生の妹「純」のキャラ設定
映画では弥生の妹である「純」が少ししか出てこないが、原作は藤代を誘惑する妖しい女として登場する。

原作の純は結婚していて、純の夫婦もセックスレス。
しかも純は不倫をしまくっている。
最終的には夫との間に子供ができる。

藤代は純からの誘惑にかろうじて打ち勝つも、純に欲情してしまった自分に悩んでいく。

④奈々の過去エピソード
映画版での奈々(藤代の同僚の精神科医)は、シングルマザーとして描かれているが、原作の奈々は男性と全く触れ合えない女性という設定になっている。

原作での奈々は、かつて患者の少年に恋してしまうも、その少年を抱きしめもせずに転勤してしまう。
それ以来、奈々は少年を忘れられずに男性と交われなくなったという。

正に愛を手に入れずに、愛が終わっていない女性が奈々ということになる。
奈々の過去の話は本筋とは関係のないサブエピソードなのだが、本作のテーマを語る上で重要な役割を担っているので、映画版にも入れて欲しかったなと思う。

⑤ラストシーン
原作のラストはインドのカニャークマリとなっている。
弥生は春からの手紙で春が藤代と一緒に行くはずだった場所を巡っていることをしり、藤代の下を離れてカニャークマリに行く。

弥生も春と同じく、藤代と出会ったころの熱い気持ちを取り戻したかった。
弥生はその思いをカニャークマリから藤代に手紙で伝える。
その手紙を読んだ藤代はカニャークマリに行き、弥生に駆け寄るところで原作小説は終わる。

原作では弥生と春は一度も会うことなく、弥生は春の気持ちを春の手紙で知ることとなる。

原作とはかなり違う展開で、原作ファンは怒る人もいると思うが、原作に忠実に作られる方がめずらしいと思う。

インドのカニャークマリでの撮影なんて、予算的にも相当厳しいだろうし。

原作者も、原作ファンも、映画版との違いを楽しむ気持ちで鑑賞して欲しいと思う。

<気になったところ>
本作を映画化するにあたって原作を大幅に改変しているが、そこは個人的には気にならなかった。
気になったところは、原作も映画も、誰一人、魅力的なキャラクターがいなかったところ。
皆グズグズのメンヘラ人間ばかり。
特に弥生の失踪は理解し難い。。。

ということで不満点を3点ほど挙げたい。

①藤代と春の旅行
映画版では春の父親の反対により旅行に行けず、二人は別れることとなったが、そこが観ていて納得いかない。

結婚の申し込みならいざ知らず、旅行に行くのに彼氏が父親に会いに行くか?
そして父親が反対するのは普通だと思うが、その反対を押し切って行くんでしょ。

春は荷物も持たずに空港に現れたが、私だったら春を一喝した後、春の父親のところに乗り込んで、「お前の娘への思いは、愛ではなく、ただの依存であり、甘えだ! このままだとお前も娘もダメになるぞ!」と、どやしつける。

しかし、映画の藤代はシクシク泣き出す始末。
アホか。

②弥生とのセックスレス
映画でも原作でも藤代の同僚医師の奈々が、セックスレスなのに結婚することを不思議がるが、私も同感。不自然。

しかも、弥生役は長澤まさみ。
長く同棲したとしても、セックスレスにはならないでしょ。
私が長澤まさみと同棲したら、何年たってもセックス「フル」でしょ。
いや、フルセックスか。
いや、フルセックスフルか。

③不治の病
映画でも原作でも春は不治の病で死ぬが、「不治の病」設定はやめてくれ。
実話だったら許す。
映画・ドラマで安易に不治の病を使われると辟易する。
白ける。
「不治の病」禁止法を制定してもらいたい。

小説でも映画でも、意地でも不治の病は使わない!という気概を持って欲しい。

とにかく魅力的なキャラがいなかったので、私の本作の評価は3.0点(5点満点)。
もっと精神的に強い主人公の映画を観たいなぁ。。。

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