映画「愛にイナズマ」ネタバレと家族の価値について考える感動映画
映画「愛にイナズマ」を鑑賞。
主演は松岡茉優と窪⽥正孝。
監督は石井裕也。
あらすじ(ネタバレ含む)は次のとおり。
短編映画が認められ、映画監督として本格デビューを目指す折村花⼦(松岡茉優)。
花子は意地の悪いベテランの助監督にネチネチといびられながらも、我慢して撮影活動を続ける。
ある夜、街角で酔っぱらった男二人に対し、中学生がマスクして街を出て行けと口論になる。
そこに空気の読めない男である舘正夫(窪⽥正孝)が現れ、ケンカを止めに入るが、男二人に殴られてしまう。
その様子を眺めていた花子は、取材のために正夫に近づくが見失ってしまう。
その後、ふらりと立ち寄ったバーに、ダサい「安倍のマスク」をした正夫がいた。
花子はマスクが血で真っ赤になった正夫にケンカを止めに入った理由などを聞く。
すると正夫は何故か花子が映画監督であることを知っていた。
それは正夫の友人の落合が、現在花子が撮ろうとしている映画に出演することが決まっていたからだった。
裏表なく、自分の気持ちに真っ正直に生き、全く空気の読めない正夫に、花子はすっかりほれ込み、酔った挙句にキスまでしてしまう。
花子は自分が幼いころに家を出ていった母親をモデルに「消えた女」という映画を撮っていた。
しかし、助監督による裏工作のせいなのか、花子は監督を降ろされてしまう。
更に正夫のアパートに転がり込んでいた落合が自殺してしまう。
悔しさでいっぱいであった花子は、自主製作で「消えた女」を撮ることを決意。
正夫も協力することとなった。
花子は10年以上も会っていない父と二人の兄を実家に呼び出し、撮影を開始。
監督をクビになる前は、プロデューサーと助監督におびえながら撮影をしていた花子であったが、家族の前では口悪く、言いたい放題で撮影を進める。
先ず花子は父親にカメラを向けて、母が家を出ていった本当の理由を聞きだそうとする。
答えようとしない父。
しかし、二人の兄は母が出ていった理由を知っていた。
問い詰められた父は、妻が出ていく際に渡し、今も父が料金を払い続けているケータイに電話をかける。
電話に出たのは妻ではなく、妻と一緒に逃げた男だった。
その男によると、妻は3年前に死んだという。
そして遺灰は母の遺言としてフェリーから散骨したという。
撮影のため、母親がいたときの思い出の地をめぐり、当時、家族でよく食べていた料理屋に入る。
その料理屋のマスターは父の古い友人であった。
その友人から、父の隠された真実が語られる。
マスターには娘がいた。
しかし、その娘は男に騙されて自殺していた。
当時、花子の父親は激怒し、その男を殴り、片目を失明させていた。
当然、捕まり、父は1,500万円もの賠償金を背負う。
自暴自棄になった父は家で暴れ、そのことで母は愛想が尽きて、男を作って出ていったのだった。
そして父が胃がんで余命1年であることも告げられる。
全ての真実が明らかになったことにより、10年以上⾳信不通だった家族は徐々に一つになっていく。
1年後、父は死に、花子たちが涙するところで映画は終わる。
映画の冒頭で映画監督をしている花子から、俳優でなくても全ての人は演技をして生きているということが提起される。
確かにその通りだ。
仕事場ではそれぞれの役職の演技、物を買うときは客としての演技、外を歩いているときは一般市民としての演技をして人は生きている。
その演技という仮面を取れるほとんど唯一の場が家族。
その家族ですら、ウソと演技で固められていれば、心がバラバラになるのは当たり前。
花子の家族がそうであったように。
私自身の家族も、大事なことを隠し、全くお互いが心を許しあえる関係ではなかった。
当然のごとく、私は働き始めたことを契機に家族とは断絶し、連絡を取ることもなくなった。
父親が死んだのは風の噂で聞いたが、悲しみなど全くない。
母親は今も生きているのかどうかすら分からない。
こういう家族にはしたくないと思って、自分も家族を作ってみたものの、結局は上手くいかず。
だからといって家族という「概念」に絶望したわけではない。
その証拠に私はこの映画を観て、後半涙が止まらなかった。
基本的にコメディ映画なのに、ポロポロと泣いてしまった。
家族というものは、めんどくさくても、怖くても、衝突を恐れず、本当のことをぶつけ合っていくことが何より重要なのだと、この映画を観て改めて思った。
この映画を私が結婚する前に観れば何かが違ったかも。
いやいや、結婚して失敗したからこそ、この映画の意味が理解できるのだと思う。
家族というものを客観的に見つめなおしたい人は是非ご鑑賞あれ。