映画「オッペンハイマー」:原爆投下の理由とは? 原爆開発の父が辿った苦悩と葛藤

今週から公開の映画「オッペンハイマー」を鑑賞。
本作の監督はクリストファー・ノーラン。

これまで私が鑑賞したノーラン監督作品は「メメント」、「ダークナイト」、「プレステージ」、「TENET テネット」。

ノーラン監督は難解な映画を撮ることで有名。
前作の「TENET テネット」は全く理解できない難しい映画だった。

今回鑑賞した作品は、世界初の原子爆弾を開発した「原爆の父」として知られる理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた伝記映画。

ノーラン映画が難解なのは時系列を崩し、逆転させたり、過去と現在を交互に見せるところ。
「オッペンハイマー」も、その手法が採用されている。

また、オッペンハイマーの視点だけでなく、オッペンハイマーと対立するルイス・ストローズの視点でも描かれ、ルイス・ストローズ視点の映像はモノクロになっている。

ただし、「オッペンハイマー」は時系列や、複数の視点になっていることよりも、登場人物の多さが観客を混乱させる。

<ネタバレあらすじ>

映画の前半ではオッペンハイマー(キリアン・マーフィー)の学生時代から原爆開発のリーダーになるまでが描かれ、その中で彼の人格が分かっていく。
また、オッペンハイマーは核分裂のミクロの世界や、原爆により世界が滅んでいく映像を鮮明にイメージとして見ることができる天才として描かれている。

後半ではオッペンハイマーの成功、挫折、苦悩の物語となっていく。
ロスアラモス国立研究所長となったオッペンハイマーは、原爆開発のための極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を遂行し、実験「トリニティ」を成功させ、遂に広島と長崎へ原爆が投下されて戦争は終わる。

終戦後、オッペンハイマーは原爆の何倍もの威力がある水爆の開発に反対し、そのことにより時の大統領トルーマンに嫌われる。

そしてオッペンハイマーはソ連のスパイではないかとの濡れ衣を着せられ、水爆推進派でアメリカ原子力委員会の委員長でアメリカ海軍少将のルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)と対立し、政府からパージされていく。

<ネタバレここまで>

映画「オッペンハイマー」の世界的な公開日は昨年2023年の7月21日。
その後、アメリカで大ヒットし、米アカデミー賞の作品賞を含む7部門を受賞。

しかし、日本では公開されず、ようやく本年2024年の3月29日から上映開始。
日本での公開が延期された明確な理由は不明。

一般的に言われているのは、日本が唯一の被爆国であり、オッペンハイマーが英雄視される描写などが問題視されるからというもの。

個人的には日本国内での配給権の価格が、予想される興行収入より高かったからではないかと思っている。

大注目のノーラン作品なので、配給権はとんでもない金額であろうことは想像に難くない。
しかし、いくらノーラン映画といっても、値段が高い割には小難しい内容で、しかも上映時間3時間では客は来ない。日本では。

アカデミー賞獲得後であれば、少しは客が入ると思い、値切りに値切って配給権を購入したのではないだろうか。

ちなみに、これまでのノーラン作品はワーナーブラザーズという比較的大きな会社が配給していたが、今回の「オッペンハイマー」は非メジャー会社のビターズ・エンドが配給している。

日本でもヒットするのかどうか、来週の興行収入ランキングが楽しみだ。

ノーラン監督の意図とメッセージ

本作は明確な反戦・反核映画とは捉えられない。
ノーランの意図やメッセージも具体的には分からないが、ヒントとしてNHKのインタビューにノーランは次のように答えている。

「知識は物事を変えてしまう。」
「人は新しい知識を知ると、知る前に戻れない。」
「それが知識の危うさである。」

確かに核爆発という知識は世界を変えてしまい、以前の世界には決して戻れなくなってしまった。
人間は知識を得れば得るほど破滅に向かっていくのだろうか。

ノーラン監督はオッペンハイマーの人生を通じて、知識の恐ろしさを伝えたかったのかもしれない。

しかし、唯一の被爆国である日本にとっては、別の視点から本作を観ることになる。

何故、アメリカは原爆を日本に落としたのか?

本作ではオッペンハイマーの悲劇的な人生が描かれていくわけであるが、日本人にとっては彼の人生などどうでもいい。

しかも、仮にオッペンハイマーがいなくても、原爆が作られていたことは明白だ。
事実、ソ連は時期としては遅れつつも、独自に開発に成功している。

日本人にとっての問題は、何故、アメリカが原爆を作り、日本を標的にしたのかである。

原爆開発の最初の切っ掛けは敵国であるドイツの原爆開発の情報。

アメリカはドイツよりも先に開発する必要があった。
特にユダヤ人のオッペンハイマーにとっては尚更である。

しかし、ご存じのとおり、ドイツは降伏し、ヒトラーは自殺してしまう。
そこで原爆投下の標的は降伏していない日本になっていく。

映画内では日本に原爆を投下する理由として次の4つが挙げられる。

  • 本土決戦となると原爆よりも多くの死者が出るため
  • ソ連の参戦を遅らせるため
  • 日本の「無条件」降伏を促すため
  • 核兵器の威力を誇示し、戦後の国際社会におけるアメリカの優位性を確立するため

どれも日本人としては納得できない。
原爆を落とさなくても日本の敗北は分かっていたはず。

原爆の罪は戦闘員でもない何十万もの一般市民を一瞬にして殺したところにある。
これは、当時の国際法にも完全に違反している。

にも関わらず、戦後、東京裁判(極東国際軍事裁判)で、日本軍人たちは戦争犯罪人として一方的に裁かれていく。

戦争犯罪を犯したのはアメリカの方である。
アメリカの都合により広島と長崎の市民は無辜の民となったのである。
しかし残念ながら勝てば官軍、勝った方が正義なのだ。

映画内でオッペンハイマーは原爆の威力を世界に示せば、戦後の核開発の抑止になるというセリフを言うが、全く理解できないし、事実そうなってはいない。

そもそも日本が第二次世界大戦に参戦したのは確実にアメリカの誘導である。
具体的にいえば「ABCD包囲網」と「ハルノート」。

ABCD包囲網とは、1940年にアメリカ、イギリス、中国、オランダが結成した経済封鎖網。この封鎖網によって、日本は重要な資源である石油や鉄鋼などの輸入が制限される。

また、ハルノートとは、1941年11月にアメリカ国務長官コデル・ハルが日本政府に送った最後通牒。ハルノートは、日本軍の中国からの撤退と、中国における日本の権益放棄を要求した。

ABCD包囲網とハルノートにより日本は経済的に追い詰められ、外交的に孤立。

日本政府は、戦争以外に選択肢がないと考えるようになり、第二次世界大戦に突入していく。

そんなアメリカに原爆を落とされ、敗戦する日本。
しかし、戦後の日本はアメリカを恨むこともなく、日本の参戦は日本が悪かったと洗脳され、夏の終戦記念日には「二度と戦争は起こしません」と言って頭を下げる。
頭を下げなくてはならないのはアメリカの方だろ。

人間が戦争をするのは自然?

世界大戦後も人々は核の脅威にさらされ、各地で戦争が起こっている。
「人間は愚かな生き物だ」というのは簡単。
最近、私は人間が人間を殺すのは自然な状態なのではないかと考え始めている。

かつて哲学者のトマス・ホッブズは、人間の自然状態の有様は「万人の万人に対する戦い」であるといった。

動物には必ず「天敵」がいて、天敵の存在によって生態系のバランスが保たれている。
それでは人間の天敵は誰だろうか。
人間だ。

人は人によって繁栄が抑止され、生態系が保たれているのかもしれない。
私の仮説が正しいならば、人間は永遠に殺しあう生き物である。
恐ろしいことだ。

話は全く変わるが、男性陣に朗報。
本作の途中で、オッペンハイマーはフローレンス・ピューが演じるジーン・タトロックと不倫するが、そのシーンでフローレンス・ピューはオッパイ丸出しでHする。

フローレンス・ピューといえば、A24製作の傑作ホラー「ミッドサマー」。
つまり、本作はフローレンス・ピュー主演のオッパイハイマーでもある。

なかなか小難しい映画で上映時間は3時間もあるが、日本人としては考えさせられるところも多く、また、フローレンス・ピューのオッパイも観れるので、是非、劇場でご覧あれ。

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